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ちょっと変わった依頼だった。浅草の蛇骨湯温泉と、霊友会釈迦殿、それに谷中のSCAI Bathhouseという古い銭湯の中を改築した画廊などの見学を希望。最後のSCAIはネットでみると丁度休館中だったが、他の2つはガイドした。

Robert(42)はオレゴン州ポートランドに、画家の妻と住む画家夫婦。もともとマニラ生まれで、今回も東京のあとマニラで3ヶ月過ごす予定。12才の時両親がフィリピンからアメリカへ移民したので、一緒にロスへ住み着き、当地の美術学校を卒業して永住権も取り、もう20年来抽象化された水彩画を描いては売って、生計を立てている。

品川から京急でも25分の横浜・日ノ出町の高架下の住居に滞在中ということで電話の連絡も出来ず、メイルだけのやり取りで、品川駅構内の「水の音広場」を待ち合わせ場所にした。900の約束だったが、930になっても現れない。メイルは家のパソコンでやり取りしていたのだが、iPhoneに同期してあるはずのメイルが彼のものだけ、どういうわけかiPhoneには現れない状態で、断りのメイル送信をしようと難儀をしていると、Takeo?と呼びかけられた。顔をあげると意外にも名前から想像していたのとは違う東洋系の人が立っていた。京急が人身事故で特急が動かなくなり、鈍行で1時間以上もかかったと言う。

築地を最初に予定していたが、「場内」の奥の市場に行くには厳しい時間だったので省略して、浅草へ。

車中の話で彼の置かれたようすが分かる。赤線やラブホテルが並んでいた横浜の日ノ出町付近の高架下のイメージを一新しようと、海外から芸術家を呼び寄せて芸術の拠点にしようという町興しのプロジェクトが出来て、タダで宿泊や活動の場が最大4ヶ月くらいも提供されるというのを知って彼も応募したと言う。もともと日本が好きで既に6回も来日、日本人の友人も多い。画家の生活も大変で、個展やグループ展などを次々に出して、画商の目に留まると声がかかり、売れるようになるのだそうだ。彼も画家として絵を描き始めて20年、作品が130万円くらいで取引されるようになったが、画商の手数料も40%なので、大変だと言う。何よりもインスピレーションが必要で、日本のもの、例えばアニメや鳳凰(phoenix)などにも刺激されてinspirationが湧き、作品に取りれたことがあるとのこと。

途中上野で乗り換えるとき、アメ横を知らないというので、案内する。彼は甘いものはダメだが、生卵、酸っぱい梅干し、納豆などは大好物。スナックをというので、松坂屋の地下で納豆巻きのパックを買って、不忍池の畔で花見をしながら2人で頬張る。器用に左手で箸を操る。博物館方面には何度も来ているというので、清水寺のところから地下鉄方面へ向かい浅草へ。

仲見世では奥の方の「助六」の極小人形に感嘆。「てぬぐい」にも興味があり蒐集しているというので、「ふじ屋」へ。京都で見たという全身骸骨の染め抜きが入ったものを探す。実際右の"Permanent Midnight"という彼の作品にも下に頭骸骨を持った男が描かれている。ノレンの「べんがら」へも寄る。しかし買ったものは烏の口ばしを模したきれいなデザインの栓抜きと細かい装飾のついたキーホルダー。私が兎年だと知って、ウサギ模様のソーサーをプレゼントしてくれる。

お昼なので、六区の方へ行き、「釜う」で餅の天ぷらと大根おろしのうどん。甘くない餅も彼の大好物。

そのあと合羽橋、東本願寺をゆっくり見て、iPhoneの地図案内を頼りに蛇骨湯へ。細い路地をまがった突き当りのちょっと分かりにくい場所だ。温泉が嫌いな方ではないので、私も付き合う。普通の銭湯の入口の感じだが、江戸時代から続く天然温泉とのこと。自販機で入湯料450円を私の分も買ってくれる。手ぶらで来る人のためにタオル、シャンプー、などを入れた150円の「手ぶらセット」という袋も番台にある。早い時間なのにかなりの人が入っている。外人もいる。小さな庭の見える露天風呂、サウナ、水ぶろもあり、ボタンでONOFFが出来るジャグジー付きの深い浴槽では、お湯が手ですくっても褐色に見えるほど。

彼は慣れていて礼儀正しく、まず全身を石鹸で丁寧に洗ってからゆっくり入る。腕に入れ墨が少しあるというので、前もって電話で確かめたがOKとのことだった。壁一面の富士山の絵を指さしながら、彼がニヤッとする。先週は草津へ行って湯もみに参加してきたそうだ。風呂上り用にテーブル、椅子と飲み物自販機を置いた部屋もある。我々が出ていくときにも2組の外人カプルが入ってきた。

全身が弛緩した気だるい心地よさで、地下鉄へ戻り、銀座線、日比谷線と乗り継いで、神谷町へ。彼の希望で、歩いて5分のところにある霊友会釈迦殿を見る。見上げる人を上から圧倒する大きな羽を広げた黒鳥のような異様な建物。築90年で1925年に建てられたというから東京では古い建造物。霊友会については私はよく知らないが、仏教の一派のようでもあり、一般的な意味での宗教とは少し違うのかな...という程度の理解しかないのであまり説明は出来ないが、館内にかかっている展示物の内容を少し説明。もちろん彼の目的は奇抜(?)な建物からinspirationをもらえれば...ということだけだが、我々が「境内」を歩き回っている間、出会ったのは2グループの外人たちと日本人の警備員1人だけだった。

観光地が嫌いで、6度も来日しているのに、皇居へ行ったことがないという。まだ時間があるので、ちょっと行ってみようかと出かける。大手町に着いてパレスホテルの口から出ると大手門が閉まっている。金曜日であることを忘れて失敗。やむを得ずお堀端を歩いて二重橋へ。多くの人のように、途中の松林は「巨大盆栽」と言って喜ぶ。東京駅も見たいと言って更に歩く。途中、駅近くの小さな居酒屋へ。ブリのたたきと焼き鳥でちょっと一休み。勘定になって「お通し(ホウレンソウ少し)(250円)が加算されているので、食べたあとだが彼は納得しない。頼みもしないものをかってに出しておいて料金を請求するのはおかしいと盛んに私も抗議したら、店長が出てきて「それでは引きます」と請求書から引いてくれた。東京駅へ向かいながら、彼にも「頼んでないものが出てきたら、突き返せ」と確認した。

丸の内南口の芸術的なドーム天井を見て、そのまま山手線に乗り、品川で別れを告げた。

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ボストン郊外に在住の
Sam56)とその妻Anat55)を夫婦。SamHewlett Packardのプリンター部門HP IndigoのディレクターでAnatはホスピスにボランティアとして勤務。もともと2人はイスラエル人で、ハイエンドの印刷機を生産していた勤務先のイスラエルの会社Indigoがアメリカのヒューレット・パッカードに合併してアメリカ勤務になったので、20年前にテルアビブから4人の子供と共にボストンに移住。Anatもイスラエルではテキスタイルの技術者だったのが、移住してworking visaが取れなくて、ボランティアの仕事をしたのが、今では市民権が取れているのに、そのまま続けている。Samは何度か仕事で来日しているがAnatは初めて。今回はSamのシンガポールに出張に合わせてAnatが同行し、途中、成田のStopover3日間東京観光。シンガポールで仕事のあとカンボジアも観光すると言う。

3/13()

ガイドは今日明日の2日間。今日は1日雨模様だが、明日は東御苑が閉園なので、まず皇居へ。「天皇は政治的権力を持つのか?」「戦前と戦後と天皇の立場はどう変わったか?」「国民は天皇をどう思っているのか?」などと二重橋からお堀端を歩きながら、Anatが熱心に聞く。皇居側に窓が多かった以前のパレスホテルが高層改築を機に西側に向けられたことを言うと興味を示す。

東御苑も小雨。日本庭園ではサルスベリに花も葉もないのに幹や枝ぶりがキレイだと言う。サルスベリの花、ツツジやショウブのころを説明すると是非その時期に再度くると勢い込む。池の緋鯉も初めて見る様子。数日前と同じように梅林の梅を背景に記念撮影をするが、天守閣の下、本丸の脇に1本だけ桜が満開なのを発見して、雨の中だが早速カメラに。

悪天候の話題から東京の大雪を言うと、ボストンも60cmの積雪が続いて2度あり、重なった雪で大混乱だったそうだ。彼らがよく行くイスラエルも雪など100年も降らないのに最近60cmも降り、停電、学校の休校などが続き、大騒ぎだったと言う。

続いて彼らの望みで靖国神社へ。九段下から坂を上っていると、和服姿で卒業式を終えた女学生が降りてくる。一緒に写真を撮りたいというので頼んで撮らせてもらう。芝浦工大の卒業式が武道館で行われた帰りだという。アメリカでもレンタルは男性の燕尾服だけで、女性用は作るのが普通で親は大変だとのこと。

遊就館に入る。まず三菱重工製のゼロ戦(52型戦闘機)の実物がSamの目を引く。彼もイスラエル空軍所属の技術将校だったそうで、Zeroをよく知っている。でも英語の説明を読んでいて、「『世界一強かった』とはあるが、真珠湾攻撃に使われたことが書かれていない」と不満顔。展示室に流れる軍歌(?)や戦時のアナウンスメントの内容も知りたがる。南京事件のパネルの説明ではやはり「虐殺」は触れられてなく、この点が日中のdisputeになっていることを言うと強い関心を示す。Samが言うには、太平洋戦争に関しても、アメリカがそれ以前にフィリッピン侵略をしていたことなどは教えられた覚えがなく、アメリカが太平洋方面に関わるのは真珠湾のあとからだと教えられたそうだ。だから「特に戦争は、立ち場によって全く異なる見方や説明になることがよく分かる」と何度も言い、「新しい発見が多くて、ここに連れてきてもらったのはとても有意義だった」とSam。一方、20代の戦死者の遺影と遺書が無数に並ぶ部屋がある。神風特攻隊を探す。学徒動員の遺影、若い未婚の戦死者に親が奉げた白装束の花嫁人形が並ぶ。せめて人形でも花嫁を...と戦死した息子を思う親の気持ちに触れるとAnatは涙ぐむ。

彼らはユダヤ人なので食事がややこしいと思ったが、そうでもなかった。Samはポークがダメな以外は食事規定(Kosher)に全くこだわらない。Anatはポークのほか、貝類、タコ、イカなどの魚の形をしない海産物はダメ。ビーフはOKというので、近くにたまたまあった「すき家」に入り、安い牛鍋を取る。580円。付いてきた生卵がダメなので、卓上で煮えている鍋に入れる。ご飯も味がしないというので、鍋につぎこむように勧めると「うまい」と言って2人とも平らげた。ただ、Samは麦茶がダメ。水道水を飲む。

九段下から半蔵門線で表参道へ。奇妙なビルにキョロキョロしながら裏原宿を回って竹下通りへ。日本は一般にConservativeな国なのに若い女性の着こなしが極端だと言う。アメリカの方がずっと保守的だそうだ。Samは子供のころ両膝を手術した。最近まで問題なかったが、数年前再度問題を起こし、再手術。今鋼鉄の支えが埋め込まれている。それがかなり歩くと痛みだし、歩きにくくなるという。ここでそれが起りかける。しかしまだ大丈夫だというので、秋葉原へ。

もともと技術に詳しいSamは昔の秋葉原の屋台のような店が並ぶ小道は毎日来ても飽きないだろうという。しかし雨がひどくなり、彼の足も痛みが出て、お茶でも...ということになる。駅前のExcelsiorの外の椅子でPeople watchingでもということで、コーヒーを飲みながら雑談。

HP Indigoのプリンターは業務用だが1セット5000万から1億円もするハイエンドの製品で、日本にはまだ200台しかないそうだ。しかし欧米では5,000台から6,000台は使われていて、60%のシェアを持つと言う。トナーの粒子の大きさが他社の1/10くらいで紙の繊維の隙間に入りこみ、粒子に電荷を帯びさせて定着させるので、手軽なデジタル印刷なのに複雑なオフセット印刷並みの仕上がりになり、欧米では人気があるそうだ。彼も日本支社の人たちと組んで売り込むらしいが、仲間とのコミュニケーションも気を使うようで、日本人同僚への呼びかけるとき、苗字に「さん」を付けた方が良いのか、名前(First name)に「さん」を付けるべきかなどと聞く。

また今朝満員の地下鉄に乗りあわせ、「ギュウギュウ詰めの10分は申し訳なかった」と私が言うと、「いや実に興味深い経験だった」と言う。「イスラエルの電車だったら、近くに人が居ようが大声でわめき、車中で携帯でも大声で話し、落ち着かない不愉快な時間になるが、東京では誰も周りの人に気を使って静かにしていて、あんなに込み合っているのにプライバシーが保てる」とのこと。

休んでいるうちに雨も激しくなってきたので、山手線で池袋まで送り、別れを告げた。

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