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OREGON COASTS

 アメリカのドライブを共にしたいという浩をシアトルの空港で拾って、オレゴンの海岸を目指す。オレゴンも広い。フリーウェイでない普通の道路は、時速が60〜50マイル(96〜80キロ)だし、オレゴン州はスピード違反の取り締まりが厳しいと聞いていたので、制限速度を守ると随分遅く感じる。でも、カナダ同様、有料道路並のフリーウェイでも料金を取るところは全くないのが助かる。今度の旅でアメリカだけでも4000キロ走ったが、もしこれが日本の有料道路だったら、8万円位の道路代を取られていることを考えると、この違いは何だろう。ガソリンも1ガロン(3.8リットル)で1.5ドル位だから、日本の約半分の値段である。駐車場付きの宿泊施設モテルも1泊1室$39〜$90(4,700〜10,800円)位だから一人当たりにすると、そう高いとも思えないのだが、宿泊施設のトレーラーを車で引っ張って旅行する人が多い。上の写真の前方の車もそうだが、こ れが前に来ると、のろのろ運転になるケースが多く、普通の道路では、上り坂の所々にある追い越し車線(passing lane)が出てくるまで、後続車は我慢の運転となる。野外の静かな場所では、RV(Recreatinal Vehicles)パークという看板があちこちにあり、10ドル程度で、1泊駐車して電気とシャワーが使えるようだ。
 Oregon Coastの真ん中辺にFlorenceという町があった。ガソリンスタンド(gas station)で、海の見えるきれいな宿はないかと聞いてみると、あるという。それがこの右のDriftwood Shores Resortというホテル。ちょっと高く3人で128ドル。でも目の前に180度太平洋が広がり、完全なキッチン付き。丁度ハネムーンのような若いアメリカ人カップルが友人と来ていて、浜辺でウェディングドレスのまま記念写真を撮っている(右上の写真)。
 我々も折角アメリカへ来たんだからと、スーパーで1番小さいサーロインの生肉を買ってきて、キッチンで焼いて食べた。普通のサイズのは大きすぎて、とても無理。小さくても油がのって、柔らかくこれこそアメリカの味である。しかも温水プールもあるホテルだったので、一泳ぎをしてドライブの疲れをとることもできた。洗濯機と乾燥機も各階に用意され、25セント玉を数個用意すればOKだったはずが、途中で硬貨がスロットに挟まって動かなくなった。でもフロントに連絡すると、携帯で館内を動き回っているメカニックに連絡してくれ、自分が洗濯機の所へ戻る前に直っていたのにはびっくりした。
 結局、このDriftwood Shoresは気に入ったので、2泊して、再び北に向かった。すぐ北にはSteller's Sea Lion(トド)が集まる岩があり、鵜飼いの鵜(cormorant)も群生する場所がある。高い展望場所から眺めていたら、南のCoos Bayという所から来たというこのおばさんに群生する場所を教えてもらった。ついでに我々3人の写真もとってもらった。遠くから撮った写真で分かりにくいけど、左の大きな岩の上に点々といる茶色の生き物がトドだ。エレベータで70m位降りると、すぐ近くの岩の脇に出るが、我々が降りたときは近くに見あたらなかった。
 ここに来る前に、我々はカリフォルニア州とのボーダー近くにあるAshlandという町を訪ねた。ここはアメリカのシェイクスピアの中心と言われているところでイギリス風のバナーがひらめき、シェイクスピアを上演している劇場が、野外劇場を除いても、ほとんど同じ場所に3つもある。かねてからインターネットを通じて、Shakesspeare Festivalの最中であることは分かっていたのだが、いつ着けるか分からなかったので、劇場への切符などは予約していなかった。しかしたまたまBox officeにいくと1時間後に始まるマチネーのティケットが2枚だけあるという。早速買って、浩には付近で時間つぶしをしてもらうことにして、見に行った。
 出し物はLife is a Dreamというシェイクスピアまがいの古い劇で、アメリカ人の演出家が脚色したもの。ポロニアの王が、自分の子Segismundoが生まれたときに、星を占ってもらったら、恐ろしいことを言われ、自分の子としないで地下牢に幽閉する。後に自分が正当な王の跡取りである王子であることを知った息子が王に復讐する話なので、いかにもシェイクスピア的だが、ほとんど現代のアメリカ英語で、アメリカ人のジェスチャーで演じるので、衣装などは昔風でも、何となく違和感があった。劇場の中で写真をとることはできなかったので右は野外劇場だが、屋内の舞台は観客の方にせり出すように作られていて、全体が妙な縁取りの7段の階段状になっている。それぞれの段が自由に大きさを変えられるし、どの方向にも動くので、そのいくつかの段をリモコン操作するだけで、舞台がほとんど完成してしまう。また、その真ん中には舞台下に通じる穴があり、そこから役者や物が突然現れて、人を驚かす仕掛けだ。
 ここではアメリカ人らしく、シェイクスピアもアメリカナイズさせられて、みなが理解できる言葉で上演することによって、リバイバルを成功させている。イギリスだと伝統があるし、こう素直に変わり身よく、妥協することはないかもしれないが、これでいいんだと思う。

Safeco Fieldのイチロー

 シアトルから1時間以上離れたワシントン州のPort Angelesという町に居たときに、急に思いついてSafeco Fieldに行ってみようということになった。近くのプレイガイドに行ってみたが、9月の下旬ならまだ席があります、と言う。明日、というと、とんでもないという顔をされた。しかし野球場の場所を尋ねても、よく分からないという。仕方がないので、町の公共図書館に行ってみる。読書相談の係りの人が居て、その脇の1画に、15台くらいのパソコンが置いてあり、インターネットにつながっているとのことだったので、早速使わせてもらって、野球場の住所と試合予定を調べた。ついでに私のメイルもチェックしたが、受信できても、日本語は全部化けるので、ちょっと使い物にならない。日本語を読むために、Global IMEなどを入れようとしても、Optionの類はすべて使えないようになっている。とにかく初期画面はInternet Explorerのアイコンが真ん中にあるだけで、他は何もない。それでも奥の方にはもう20台位あったし、中央に置かれた数台の書名検索用のPCもインターネットに接続可能のようであった。
 想像を絶する人気に、無理かもしれないと思ったが、住所も分かったので、一応行ってみることにした。1st Avenueが分かり、通りを進むと、アメリカにはめずらしい人混みが現れ、駐車どころではないことも分かってきた。それでもやや離れたところに、2時間のパーキングメーターが立った場所があり、何とかもぐり込んだ。
 そして球場に歩いて近づいていた狭い通りで、ダフ屋らしい若者を見つけた。30ドルの内野席を40ドルでどうかという。たまたま彼が3枚持っていたので、その場で交渉成立。まあこの騒ぎのなかで10ドルの手数料は仕方がないかな。でも携帯をもって連絡をとりながら、チームをつくってダフ屋をやっているグループがいるのには驚いた。
 イチローはヒットを打った。彼が出てくる度に、隣のアメリカ人老夫婦はこちらに向かって、ニコッと笑い拍手をする。イチローと書かれた51番のTシャツを着ているアメリカ人が一番多い。テレビで野球中継をするときも、アメリカのテレビ画面に出る文字はIchoroではなく「イチロー」だからこの仮名文字はほとんどのアメリカ人が読める日本語なのだ。でもこの球場はほとんど全員がマリナーズファンなのか、応援が一方的である。味方がヒットでも打とうものなら総立ちになって歓声をあげるが、相手チームにホームランがでても、全く無関心で、ファールボールかと思うくらいで、ボールを受け取った客だけがちょっと喜ぶだけ。スピーカーから急に重く流れるパイプオルガンも味方チームの応援だけだ。

Mt. Rainier(レニア山国立公園)

 レニア山に最初に行ったのは37年前、今度で3回目になる。でも、その間ほとんど変わってないのがうれしい。さすがにこの中心地Paradise Innにある大きな木造のホテルだけは外に露出している木の部分が朽ちてきて、大改造の途中であった。形が富士山に似てるので、ここの地名をとって「タコマ富士」などと言う人が居るが、富士山より600m高いだけでなく、ゴミが全く見あたらない。また氷河に覆われた部分を除けば、針葉樹林が密生して、高山植物の宝庫でもあるので、ゴミだらけの禿げ山とは別世界である。しかも近くには湖水もあるので、その水に写る「逆さレニア」は格別である。
 訪れた6/29はまさに「6月晴れ」で、多くの若者がバックパックを背負って、登山に挑戦していた。我々もハイキングシューズで雪の上を少し登ったが、雪水が靴にしみこんで来るので、あきらめた。いやそれを口実に体力不足を認めずに、山登りをやめた。そしてロッジでランチをほうばりながら、木組みの窓から見える雪山と針葉樹を楽しんだ。
 ここで大抵の人はシアトルへ帰るのだが、我々は反対方向のカスケード山脈の方へ行ってみることにした。しばらく樹木が茂る岩山が続いたが、1時間も走ると、あたりの風景は一変し、気がついてみると、砂漠の中を走っていた。今まで居た世界が夢のように消えてなくなった。雪に覆われた涼風の世界から、灼熱の太陽ですべてが蒸発しそうな、緑のない世界へである。しかしここも同じワシントン州である。Yakimaというインディアンの居留地のある町に来たが、早くこの暑さから脱出したいので、北へ向かうことにした。オレゴン州のガソリンスタンドは日本と同じように店員が給油することが義務づけられている。ワシントン州はほとんどがセルフサービスのスタンドである。Yakimaで給油しようとして、ノズルを車の給油口に入れて、引き金を引いても、何も起こらない。実はその状態で、受付に行き、いくらかのお金を預けて、もう1度車に戻り、引き金を引いて必要な量を入れ、そのあとで再びカウンターに行って精算すると いう方式だった。ヨーロッパだとお客を信用して、お客がかってに給油してから精算する方式が多かったと思うが、お国柄の違いを感じさせる。カードだともっと簡単だが、現金だと多くの場合に冷遇される時代でもある。

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