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ザグレブに入るとまた渋滞に巻き込まれる。一寸刻みのノロノロ運転なのに、前の車が動き出したらすぐに動かないと背後の車がうるさく警笛を鳴らして急がす。気の短い連中だ。こっちは初めての都市で東も西も分からないというのに

 ザグレブは首都なのに広々したたたずまい。旧共産圏の都市では駅舎がたいてい巨大でどっしりした造りになっている。明後日にはここから隣国スロベニアの首都リューブリャーナ(Ljubljana)に向けて発つので切符を買った。切符売り場にはInternationalと書かれた窓口が必ずあり、そこでは英語を話せる駅員が配置されているので問題ない。この駅の窓口は共産圏の駅にしては珍しく効率的で、親切に対応し、乗り場のプラットホームまで丁寧に指示して書き添えてくれた。

ザグレブ駅前は公園のようなスペースと広いグリーンベルトが続く。その駅前の一角に我々の目指すホテル(Hotel Central)があった。ホテル前の広い通りには路面電車が走っていて、その軌道と自動車道の間にも幅2メートルほどのスペースが伸びていた。そこは街路樹などが植わっていたがタダの駐車場所でもあり、わずかのスペースに競い合って車を止める人が殺到したが、何とかそこにわがレンタカーも潜り込んだ。それにしても3月下旬なのに底冷えがする。

ホテルでは各部屋にインターネットへのLANの端子がついていて、ここでも持参のノートパソコンでメイルやスカイプ電話が無料で出来る。メイルを開くと、近く予定されている下関での中学時代の同窓会の連絡が入っているが、すぐに打ち合わせの返事が出来て効率がいい。カナダ人の友人や日本の友人ともスカイプで話してみる。音質もよく、すぐ隣にいて話しているようだ。

昨日の雪がウソのように明るい日光が降り注ぐ。しかしホテルの中の暖かさとは裏腹に外は寒い。外に出ても最初はそんなに寒さを感じないが、しばらく歩くとジワジワと身体の髄まで寒気がしみ込んでくる。あわててホテルに引き返し、マフラーやジャンパーを持ち出して防寒する。実際、半そでで闊歩する若者もいるが、ほとんどが黒い防寒スタイル。芝生は緑だし、カラフルな小さな花が咲き誇っている場所もあるが、まだ大木は葉をすっかり落としていて、中途半端な光景でもある。広場には人の背丈ほどの木が卵型に刈り込まれて一面に花を付け、カラフルなゆで卵も市場には並んでいて、イースターの季節であることを思い出させる。イースターは春の到来を告げるシンボルでもあるようだ。クロアチア人はほとんどがカトリック教徒であるためにイスラムやギリシャ正教と闘ってユーゴから独立した経緯があるが、イースターのミサをやっている大聖堂に入っている人が多いわけではない。脇にある告白用のブースの前には順番を待つ人の行列が出来ているが

大聖堂の前から続く広場は巨大な青空市場だ。色とりどりのパラソルが並ぶ台座には野菜、果物、乾物、生花などが並べられて庶民の交流の場。季節はずれのブドウ、パイナップル、西洋梨、バナナやマンゴウまで芸術的に置かれているのはクロアチアもEUに加盟しかかっていて交易が盛んなことの証明だろうか。瓶入りのハニーだけを売っているカウンターなどもあるが、ラベルの色やビンの形などを考えて、実にきれいに並べられていて、手を触れにくいくらいだ。Vase zdravlje(健康食品)と大きく書かれている。隅っこの台の上では、自家製と思われる大きなチーズを持ち込み、チーズケーキのようなものを実際に作って売っている人がいる。かと思うと卵だけをガラス張りのショーケース一杯に詰め込み、販売している人も。イースター・エッグも色を塗るだけではなく、枯れ枝に鳥の巣のようなものをつくり、ヒヨコの剥製などと一緒に3つの卵を添えた置物としてデザインされたものも600円くらいで売っている。週末でもないのに市場は大混雑だ。クロアチアの失業率は20%前後のようだが、実際ウィークデイの午前中なのに、若者が犬の散歩を楽しんでいたり、公園で抱き合っていたり、日向ぼっこをしていたりで不思議だ。

19世紀にハンガリー人に侵略されそうになったクロアチアを救った当時の知事エラチーチ(Josip Jelacic)の騎馬像のあるザグレブの中心広場で一休み。昼食時だったので、キオスクでホットドッグと飲み物を注文。しかし寒いので飲み物は温かいものが良いと言ったのだが、「熱いワイン」しかないという。ワインを温めて飲むというのは聞いたことがなかった。大き目のコップ1杯だからかなりの量。身体は暖まったが酔っ払いになった。ホットドッグは注文を聞きながらパンを切らずに機械で真ん中をくりぬいてソーセージと野菜を滑り込ませるので、脇からケチャップなどがはみ出さなくて調子がいい。

すぐそばの広場の中心にブロンズのローブをまとった銅像が台座の上に立っている。と思って、近づいた3人の若い女性が急に大笑い。銅像のように装って立っていた男が急に正体を現して話しかけたのだ。挙句の果て「銅像」と握手をしてバイバイ。ここは東京で言えば銀座4丁目といったところだが、その近くに短いケーブルカーがあり、1段高くなった城壁に囲まれた別の場所につながる。ここの街灯はまだガス灯が使われていて、夕方になると市の職員がまわって1灯ずつ点灯していくという。この一帯がGradecと呼ばれるザグレブの官庁街で、東京で言えば霞ヶ関界隈だろう。しかし霞ヶ関と違うのは、教会や博物館が共存することだ。その点で庶民との接点がある。「霞ヶ関」なのに年配のstreet musicianがエレキで民族音楽を奏でている。自作のCDを販売していたのでお土産に。国会議事堂や首相官邸に近い聖マルコ教会の屋根瓦は色鮮やかで、傾斜のついた屋根に2つの紋章を描き出している。クロアチアとザグレブの紋章だ。共産圏は自由がないと言われるが、街中の芸術的な発想の自由は霞ヶ関の比ではない。

「クロアチア・ナイーブ・アート美術館(Croatian Museum of Naive Art)の場所が分からなくて、歩いている若い女性に尋ねた。彼女は公務員で書類を別の官庁に持っていくところだったのに、親切にもわざわざその美術館まで連れて行ってくれた。途中の建物を見事な英語で説明しながら、つかの間のガイドまでつとめてくれた。共産圏にもいろいろな人がいる。

ナイーブ・アート美術館(www.hmnu.org)はもともと農民の美術館から出発しているせいか、半分素人の作品が並んでいて、ヨーロッパに多い宗教画はあまりない。自然、建物、人間を適度に単純化、抽象化しながら幻想的な色彩とデザインで描き出す異色の作品が並ぶ。日本人はあまり来ないようで受付の女性が笑顔で丁寧に応対してくれる。しかし「日本にも共感者がいてサポートしてくれている」という。

明日は鉄道で隣国のスロベニアに行く予定なので、レンタカーをここで返す。町の真ん中にあるWestin Hotelにレンタカー事務所があるというので出かける。レンタカーの駐車場が見つからないので、近くのスペースを探す。車が縦に並んで駐車している隣に駐車。ところが我々を見ていたクロアチア人が大声を出している。よく見ると短い草に隠れて市電の軌道が走っているではないか。電車が来ると引っ掛かると警告してくれていることが分かった。勝手が分からないと大変だ。

レンタカーの事務所では若い男が1人カウンターの向こうに座っている。早速我々の車の場所まで案内する。日本から来たというとサッカーの国らしく「Nakataを知っている」と興味を示したので、「日本に旅行する気はないか?」と言ってみたら、「私にはとても考えられない(fictitious)ことだ」と言った。彼らの気持ちの中では、日本はまだ「地球の反対側のおとぎ話にでも出てくるような世界」なのだろうか。
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翌朝予定通りザグレブを750分発、隣国スロベニアの首都リューブリャーナへ。急行列車で約2時間11900円程度。ミュンヘン行き3両編成。出発時にはほぼ座席がうまる。車窓の景色は変化がある。緑の大草原の中に点在する赤い屋根と黄色の壁の家は絵になりそう。かと思うと、ゆったり流れる川に雪のかぶった山々が反転して移る。共同住宅中心の社会なのか、辺鄙な山の中腹に6階建てのアパートが無造作に並ぶ。景色に見とれていると、途中国境を越えて山の中を進んでいた列車がZava付近で突然停車。単線のため列車が交差するためか。確かに貨物列車が反対から来て通過した。それでも動かない。そのうち後ろから機関車が2台追い越していく。前の列車に何か異常が起こったようだ。救援機関車のようだ。山の中で待つことしきり。仕方がないので窓辺の景色を楽しむ。遠くに見える近くの山肌には雪が残る。3センチくらいの小さな小鳥がまだつゆをたたえた小枝にとまる。小さな嘴で小さな実の付近をつついて樹液を吸っている。寒いのに枝から枝へ飛び回って元気がいい。やがてどこかへ飛んでいった。再び静寂が戻る。かすかな日差しだけが木の実に注ぐ。車窓の反対側には背の高い木が数本そそり立つ。枝には新芽が出ているが、ほとんど細い枝だけを伸ばしている中に、数本だけは桂に覆われて緑の幹を装っている。

やっと動き出し、しばらくしてカーブにさしかかる。窓の外に前の機関車が目に入る。何と先ほど我々を抜いていった2台の機関車が我々の列車を引っ張っているではないか。トラブルの元は我々であった。列車は50分も遅れてリューブリャーナに到着。その間遅延に対する謝罪はもとより、説明さえも全くない。「お前らを汽車に乗っけてやっているのだ。何か文句はあるのか」といった感じで、共産主義社会の名残を感じる。

 リューブリャーナの駅に着く。レンタカーのNational Car Rentalを探すが見当たらない。Informationの女性も一瞬迷っていたがSixtとかいうレンタカーが近くにあるというので行ってみる。まさにそこがその会社だった。中間の斡旋業者がかってに名前を変えたと事務の人間は言う。フォルクスワーゲンのコンパクトカーの予約だったが、やや大型のフランス・ルノー車でいいかという。契約料は同じままでオートマ車の快適そうな車なのでOKした。ルノーのVelsatisという超モダンな車で、キーはなく、代わりにICチップのカードでドア・ロックを操作するのは良いとして、運転のときも運転台のスロットに差し込み、あとはスターターのボタンを押すだけという型。サイドブレーキまでが電子化されてボタンの操作になっている。しかし加速は実にスムーズで坂道も平地と同じ感覚。これだと車体に一切キーの穴がないので、盗難防止にいいのだろう。もちろんカーナビ(GPS)も持ち込んでそのまま使える。

リューブリャーナの町から四方に延びている立派な高速道路を少し迷いながら、いつの間にかBled湖にたどり着く。湖を遠くから取り巻くアルプスには真っ白な雪が積もっていて、見事。高速道路はそのアルプスの真ん中に突き進んで行くようだ。やがて木々の間から湖が見えてくる。予約しておいたMayer Pensionは新しい小ぎれいなコテッジ風。日本のペンションと違って部屋も広くてきれい。薄い黄色の壁にエンジのカーテン。湖水まで歩いて5分くらい。湖の背後には真っ白に雪をかぶったアルプスの稜線がくっきりと浮き出て、迫ってくる。対岸の切り立った岸壁の上に小さな古城が乗っかるように建っていて、ロマンチックな雰囲気を漂わせる。その横には赤い尖塔のある小さな教会、そして湖の沖には小さな島が浮かび、そこにもかわいい教会が見える。ちょっとおとぎ話の世界にいるようだ。早速そのお城まで登る。上からの景色もまた絶景。眼下に広がる澄んだ青の湖水の向こうにBledの町の赤い屋根が点在し、その背後に白いアルプスがそれらを覆うように囲む。ちょっとドイツのノイシュバンシュタイン城を思い出させる風景。でも空気は実にひんやりとして肌に突き刺すようだ。暖を取りにあわててペンションへ引き返す。

次の日、朝起きると粉雪が一面に舞っている。車も庭の芝生も真っ白。予報通りだ。近くにチトー大統領の別荘があるということが本に書かれていたので、宿の人に聞いてみるが要領を得ない。仕方がないのでポストイナ鍾乳洞(Postojnska Jama)へ行くことにする。リュブリャナの南40キロくらいのところ。高速道路は都心を通り抜けるのに1.6ユーロ。さらに南へ降りて1時間くらい走るのに2.1ユーロと安い。しかし鍾乳洞は入場料19ユーロで、隣の鍾乳洞に作られたお城(Predjama castle)まで見るとさらに6ユーロ。しかも11時前に入り口に行ったのに12時からだとして追い返される。仕方がないので9キロ先の城(Predjama castle)を先に訪ねることにする。途中曲がりくねった道や道路工事に待たされながら到着。しかし世界に1つしかないという変わった洞窟だ。切り立った垂直の岩盤に開いた大きな口に半分飲み込まれたようにしてお城が建っている。つまり洞窟の中がお城の中心部分。水は自然に湧き出し、会議室、食糧倉庫、砲台、小さなチャペルから棺おけの安置所まで中にそろっている。

再び最初の本命ポストイナ(Postojna)洞窟の入り口にたどり着くと団体客の人並み。そこを何とか入り込み、トロッコ列車のような小さな地下鉄、それもスロベニア唯一の「地下鉄」だそうだが、に乗り込み発車。20キロも鍾乳洞の中を進む。大きな洞窟の天井からは鍾乳石が見事な模様を作って垂れ下がり、脇の壁は光った茶色の起伏を作っている。屋根のない電車が細いトンネルを抜けるときは思わず首をすくめてしまう。手を横に出すのも危険だが、もちろん窓もない。カメラは一応禁止との表示が出ているが、皆、かまわずフラッシュを光らせる。看板は一応の建前のようだ。洞窟の奥の駅に着くと、洞窟の暗い広場に英語、ドイツ語、スロベニア語、フランス語などの看板が立てられていて、観光客は自分の説明を受けたい言葉の看板の近くに集まる。日本語はないので、英語のガイドをうけることにする。

スロベニア人の初老の男性ガイドが、妙な訛りのある英語で大声を上げて怒鳴るように説明する。スロベニアの洞窟の歴史、構成要素、逸話、鍾乳石の形から想像されるイメージの数々を披露する。洞窟の中は年中気温が変わらないはずだが、意外に寒い。外の空気をかなり大量に入れて換気しているようだ。とにかく日本の秋芳洞などと比べてもかなりスケールが違う。奥まで電車で連れて行ってそこからさらに1キロも歩くほどだし、中には1000人も収容できる大ホールもあり実際そこではコンサートや、見学客300万人達成記念式典なども催されたという。しかしここが最大の洞窟というわけではなく、南30キロのところにはシュコツィアン洞窟というユネスコの自然世界遺産に指定されたところがあるというので、スロベニアはかなりの洞窟王国。実際外に出ると再び身に突き刺すような寒さが襲うので洞窟の中の方が居心地がいい。

スロベニアをドライブしていると時々道端に小さな十字架の着いたコンクリートの小さなヤシロを見かける。日本の道端の地蔵のようで面白い。カトリックの国らしく、鉄の格子の背後に手を合わせたマリア像が置かれている。ヤシロの前には白い砂が敷かれ、小さな参道のようでもある。ギリシャの田舎にもあったが、宗教が違う旅行者も見守ってくれているようでホッとする風景だ。今度訪問した2つの国はそんな安らぎを与えてくれる国でもある。《終り》
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