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4/22() NiceTriora

ニース(Nice)の海岸を見に港へ。高台の海岸沿い高級住宅地は静かで人通りもない。紺色の海の向うに豪華客船が停泊。急坂を降りて灯台がある近くまで海岸沿いを歩く。急坂の昇り降りは朝の運動。

今日泊るイタリアの山奥、トリオラ(Triora)のホテルに確認の電話を入れて、車でモナコ公国へ。車で行くと道路標識で「国境」にMonacoと出てくるだけ。鉄道で入っても2kmも行かないうちに国から出ることになるという。これでも国連加盟国だ。公認のカジノで収益があがるためか繁華街の駐車場はタダ。個人に所得税をかけない国だから世界から大富豪が税金逃れのために住んでいる。その豪華なホテルやマンションの並ぶ海岸沿いを歩いていると日本庭園がある。贅沢な瓦とヒノキの門を抜けると大きな池の回遊庭園に出る。日本が寄贈した公園でここもすべてタダ。近くのビルの入口に大きなグレース・ケリーの肖像が掛かっているのでモナコにいるのだという気になる。ここまではフランス。

イタリアに入り、海岸沿いをそのまま進むとやがてインペリア(Imperia)で北に折れて山の間を細い道が山奥へと続く。30分もヘアピン道路を登るとトリオ(Triora)だ。奥山の傾斜地に重なるように建てられた古い村。すべて石造りで狭い通路が網の目のように張り巡らされていて狭い迷路の中を歩いているようだ。イタリアで一番最近まで魔女狩りを実際にやってきた村だそうで、魔女の博物館まである。実際ここの3度のお祭りはすべて魔女祭り。この魔女村のはずれにあるColomba D’Oroというホテルに泊まる。日本からSkypeで交渉したときから感じていたことだが、ここの女主人Simonaさんは山奥の人なのに実にきれいな英語をしゃべってくれるのでホッとする。部屋についている広いベランダへ出ると緑一色の谷間の向こうに山並みが広がる。前方の山の中腹にはやはり教会だろうか? 茶色の屋根の上に尖塔が見える。谷のこちら側の斜面の下のほうから稜線まで黒くなりかけた茶色の石で造られた小屋が重なるようにつながって広がる。その村と私のいるホテルの間の斜面は石垣で何重にも仕切られた段々畑が続くが、植えられているものはオリーブの木。ところどころにあるチェリーの木は白い花で覆われている。時折ピーピーと甲高いさえずりが谷間に響き渡る。それに混じって教会の鐘が響く。ひんやりとした空気が顔に当たるけど爽やかだ。

こんな田舎なのにいいレストランがある。さすがにイタリアのスパゲッティだと思われる絶品にめぐり合った。子羊(Lamb)の肉もすばらしい店で、リグリアのワインを入れて2人で40ユーロだった。帰り道、道を歩く人には一人も会わず、街灯だけが道を照らす。空気が澄んでいる中を満たされた気持ちでホテルに向かう。戻ると女主人のSimonaさんが笑顔で待ち受けていて、明日の朝食の打ち合わせをして別れた。

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4/23() CogoletoGenova

5時に目が覚めて、ベランダへ。深山幽谷の趣。白くなりかかった空の下に黒い山の稜線が重なり合っている。山の中腹にも集落があるようで、暗い中に小さな光が見える。ピーピーと鳥の声が谷間に響き渡る。廃墟になって壁だけが残った城壁が山頂にあり、きれいなスカイラインを一部壊している。7時朝食。暗い豪華な部屋に大きなテーブルが置かれ、手の込んだ朝食が2人分だけ用意されている。1142ユーロ。自家製のケーキやパン。ソーセージ、珍しく外は小雨。

予定通り8時に出発。すれ違いが気になるような幅の狭い曲がりくねった山道をそろそろと降りる。レンガ造りの崩れそうな汚い小屋が岩盤に張り付いている。小雨の中、約束の10時ぎりぎりにリビエラ海岸沿いの高速道路上のボルゲット(Borghetoo)料金所を出る。見渡すと道路わきに車を止めて合図している人がいる。Simonaさんだ。背の高い夫のGiulioさんもすぐに車から姿を現わす。3年前に彼らの新婚旅行を5日間東京で案内して以来の再会。今度は彼らがわざわざ休暇を取って案内してくれることになっていた。

早速車を連ねて近くのトイラーノ(Toirano)鍾乳洞へ。12000年前の洞窟で先史時代の原住民の足跡や手跡、遺骨などが残っている。入り口は狭いけど、中は深く、細かい石灰岩の結晶が見事。小学生の見学の時期らしく、数十人の団体が入り口をふさいでいる。英語のガイドはいないのでSimonaさんとGiulioさんが通訳をしてくれる。特に印象的なのがサンゴ礁のような結晶群。貴重な遺産を保護する目的で写真は禁止。でもその「サンゴ礁」や特に見事な黄金色の結晶波のところでは許されている。

ジェノアの近くコゴレト(Cogoleto)の二人のアパートへ。外見はややくすんでいるけど中に入ると明るくかなり広い。Simonaさんの窓からは地中海が見え、夏には100Mほど離れたその海岸で泳ぐそうだ。2人は2人乗りのバイクで雨の日もジェノアまで通勤するという。Simonaさんはジェノアの病院で白血病の研究医。Giulioさんはジェノアの会社でコンピュータのエンジニア。当てにならない電車だと1時間かかるのにバイクだと30分程度らしい。帰りも遅くとも7時前には二人そろってバイクで帰宅し、夕食の準備にかかる。台所の流しは直角に2つ配置され、共同作業の様子が想像できる。たまたまSimonaさんの母親も来ていて料理を一緒に作ってくれた。彼女は我々に挨拶するために英語を勉強したという。隣の2世帯住宅に住む若夫婦がクルーズで出かけている間、その90才代の両親の面倒を見るために170キロも離れた実家からやってきていた。「相沢さん晩餐会 (The Aizawas' Banquet) のメニュ」ときれいに印刷されたカードまで用意されていて、用意した料理の名前が細かく書かれ、それに従って歓迎パーティが進行する。レモンで味を付けたアンチョビ、様々のセラミ、いろいろな種類の角切りしたチーズ、乾燥トマト、タコ料理、ビーフ・ハムなどに種々のパンとルマッシナ(Lumassina)というイタリア・ワインや日本茶まで用意して前菜を構成。それにリグリア地方のパスタとイカにアーティチョークを添えたものが続く。それに自家製のイチゴ・アイスクリームという献立。すっかりご馳走になってしまったあとで、ジェノア市街へ出て観光。最後はまた予約してあった古い豪華なレストランで晩餐までお世話になってしまった。

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