5/23(金) 8時過ぎにはチェックアウトして、ジョン万次郎の生家へ向かう。例によって崖っぷちのすれ違いが難しい細く曲がりくねった道をおっかなびっくり進む。四国の県道は山と海の間の狭いところを這うように作られていて、本当に緊張する。万次郎の生家は小さな漁村の入り組んだ細い道を進んだ奥にある。その位置に正確に復元された彼の生家には誰もいない。ゆっくり玄関の障子を開けると、来訪者名簿がおかれているだけ。6 そのまま次の目的地、高知に向かう。途中、四万十川が幅1キロにもなる雄大な場所がある。そこには地元の野菜などが並べられた無人売店があり、近くに老人が1人でドラブルが起こったときに備えている。彼によるとこの四万十川を見に、以前都知事の職にあった美濃部氏がここに来て隅田川を浄化するお手本にしたという。それにしてもきれいな大量の水が洋々と流れる様はさすがに田舎の良さを保存する四国だ。 桂浜へ着く。今度は坂本龍馬。浜辺には「リョーマの休日」との看板があちこちに。土佐犬の闘犬場もある。桂浜へ出て、見渡す限り遠方に広がる太平洋の水平線を眺めていると、自由な心を育まれた彼には、その彼方に展開される進んだ文明文化に強い憧れをいだいたのはもっともだと想像できる。
5/24(土) まずは高知城へ。中心部の広い敷地に何層もの石垣が見える。石垣はクライミングの好きな人間には登りたくなるような荒っぽい石組みだが、古く苔むして見える。石垣内部にたまった水を抜く樋も突き出して見える。外国人の観光客がここでも目に付く。オーストラリアのブリスベンから来た女性、「龍馬魂」と大きく書かれたTシャツを着て自慢げに歩くアメリカ人。集団で中国j語をシャべりまくっている男女、この四国の辺境でも外国人の姿を見ない日はない。日本人は四国 高知城の天守閣は1605年に建造され、その120年後に一度焼失したようだが、その後は火災などなく最も古い城の1つで現在では国宝だ。しかし入り口に聳える追手門は17世紀初頭のものが修理をされながらも現存している。高知城主、山内一豊の妻、千代の像もある。豊臣の情報を家康に流した「内助の功」で一豊が成功をおさめる話が「坂の上の雲」にあるようだ。それにしても高知は空港から料理まで何でも「龍馬」が付く。四国は日本列島の一部ではあってもやはり本州とは切り離された島だ。中央からは遠く、いかに幕府が抑えようとしても、交通・通信手段が限られていた時代に、独立心を促す風土が形成されたに違いない。しかも資源に乏しく貧しい生活に鍛えられた人々の気概が外に向けられ、欧米に乗り出して帰国し、日本のリーダーとして働いた人物が多い。ジョン万次郎、坂本龍馬はもちろんだが、正岡子規。夏目漱石はちと違うが松山中学の教師をしていて、その経験を書いた坊ちゃんはやはり、不思議に反骨精神の強い青年教師を描くし、彼自 そこからあまり遠くないところに「モネの庭」という場所が作られた。モネの有名な「睡蓮」などを、パリの北西50kmのジヴェルニーにある「モネの庭」から株分けし、その道の庭園技師を入れて設計制作したそう 瞬間最大風速84mを記録して風速計が壊れたことがあるという室戸岬へ向かう。灯台は岬から少し奥に入った山の上にある。岬近くには竜馬と運命を共にした中岡慎太郎の銅像がある以外は奇妙な地層が見える奇岩が堆積しているだけだ。しかしここは深海の地層が隆起して地上で見られる珍しい場所のようで、外国人が小さなテントを張って緻密に観察している。同じ四国なのに、足摺岬近くの竜串の奇岩とは全く趣の違う地層なのが面白い。 時間も遅くなりかかったので、宿泊場所のホワイトビーチホテルに急ぐ。このあたりは四国でも辺地なのか、すれ違う車もほとんどなく、人影もあまり見えない過疎の地方を感じさせる。しかし見渡す限り太平洋が広がる広大な眺めの中を走るのは気持ちがいい。ときどき津波の防波堤が視界を邪魔することがあり、緊急の避難場所がつくられていたりする。太平洋の波は高く、このあたりはサーフィンの人気スポットでもある。その中心地東洋町に着くと、とたんに周りに若いサーファーたちが現れた。海辺に出ると100人近い若者が波乗りを楽しんでいる。車に泊まり込んだり、小さなテントを海岸に立てたりして、週末を楽しんでいる。人工過疎と思っていた場所に思いがけず、若者のメッカを見つけた。 5/25(日) ![]() 6時に目が覚めると、浜辺に波が打ち寄せる音がする。窓を開けると海の中には何十羽というカラスが海に浮いている様子。しかしよく見ると黒いウェットスーツに身を包んだサーファーの群れではないか。陽が上がる前からボートを抱えて、ビニール紐で足首に結びつけたボードに乗り、海に浮いている。大きな波が来ると突然ボードの上に立ち上がり、波の斜面を滑り降りる。10m以上も波に乗り続ける者もいるが多くはすぐにバランスを失い、転倒して、波間に消える。 今日は朝食が出ないので、昨日買ってきたパン、紅茶、果物、野菜などで簡単に済ませる。強い太陽光が降り注ぐが、空気は乾燥して爽快だ。四国の南東部に続く海岸に沿って続く国道55号をひた走る。 四国最東端の蒲生田岬へ。釣り船の係留されている湾に沿って続く細い道には滅多に車は来ないが、対向車が来るとすれ違いが困難。しかも曲がりくねっていて不意に現れる車にドキッとする。しかし時々現れる砂浜は平和で静か。実際浜辺におりて見ると打ち上げられた藻や木くずで汚れている。しかし魚釣りマニアにはそんなことはどうでもいいのだろう。 再び国道55号の幹線へ。今度は徳島の藍住町にある藍染めの歴史館へ。今でこそ藍は化学合成で作られ、手作業の染色はベトナムへ移されて、まだ現業の藍染工房は5~6軒しかないそうだが、かつてはこの地から全国へ藍染製品が送り出されたという。とても手の込んだ行程だ。藍の葉を煮たり干したりの間に発酵させる過程を組み込む。しかも布や板などを染色するのに1分漬けては1分乾燥させて酸化させ、色を定着させる。それを何度も繰り返す根気のいる作業だ。そこで何十年も藍染だけに生涯を捧げた老人に会った。彼が染色したコースターを1枚500円で2枚勝った。70歳とのことだったが目が輝き、澄んでいた。 次に鳴門の渦潮を見に行く。ガソリンが少なくなり、セルフの給油所へ。レギュラーで156円だ。四万十川上流で入れた時は172円だったので都会は安い。高速道路を利用し、淡路島へ通じる鳴門大橋を初めて渡る。橋の上からも渦巻きが見下ろせる。うず潮の周りには観潮船がウヨウヨ。渡り切って近くの観潮可能な道の駅へ。日曜日のせいか、道の駅の駐車場は満車で近くに臨時駐車場場が設けられ、道の 今日は徳山の郊外の眉山という小高い丘の上にあるかんぽ徳山へ泊まる。家内のお腹の調子があまりよくないので、館内のレストランで1品料理を頼み、消化の良いものを特別注文。快く承諾して作ってくれた。部屋からは幻想的な日没と夕映えが見事だった。フロリダのキーウェストで見た日没と夕焼けを思い出すが、それに優るとも劣らない。やがて一面に暗闇が降りてきて、街の灯が見渡す限り眼下に広がる。東京ではあまり見られない見事な夜景だ。何よりも空
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![]() 5/26(月) さあ出発と出かけると、雨は一応上がっている。徳島の街中は渋滞がかなりひどい。何とか高速道路の入り口にたどり着き、高松へ向かう。高速道路だが、片側1車線の部分も多いので、どうしても他の車とペースを合わせないわけにいかない。50年前にも訪ねた栗林公園へ家内を案内する。もうすっかり忘れていたが、さすがに都内の庭園と違ってまず広さが違う。そして地方の庭園は天皇お手植えの松などがプレート付きで区別されている。大正天皇が植えた松まである。池も大きなものが3つもあり、1つしなない都内の庭園と規模が違うことがわかる。ただ、シニア割引が一切ない。ほとんどの客がシニアなので、そうはいかないのだろう。それと背景に大きな山がそびえて、その木々の緑が庭の緑を引き立てる。高層ビルを背景にする都内の公園とは違う。 そのあとまだ雨は来ないので、屋島へ向かう。短いドライブウェイがつなぐ山頂の屋島寺は88カ所巡りの84番札所だそうだ。寺院の境内なのに稲荷神社もある。途中の展望スポットでは瀬戸内海が見渡せて、 近くに「四国村」というのがあるので、寄ってみる。丁度雨が本降りになり、足元が滑って歩きにくい。800円の入場料をはらったので、敢えて進んで見れるだけ見る。まず入り口に樹木の太いツルで編んだ吊橋がある。高所恐怖症にはかなりきつい代物。雨が強く回り道をする。小豆島の田舎歌舞伎の舞台と野外の観客席が珍しい。テレビや電子機器の未発達の時代には、この地方では農村歌舞伎が唯一の娯楽だ ![]() 雨の中を琴平の温泉宿に向かう。金毘羅さんの近くのビズネスホテルのような温泉ホテルをやっとみつける。やや小さめだが清潔な大理石の湯船に浸かっていると70代だと思われる男性が入ってきた。お遍路ではないかと思い、尋ねてみると案の定そうだった。静岡に住み、名古屋始発のお遍路ツアーにもう3年も参加しているとのこと。1回に数カ所の札所を回るだけなので88カ所回るのは大変だ。今回は40人ものグループで、この辺りの3カ所の宿に分宿しているそうだ。明日は6時に宿を出て785段の階段を30分で登るのだそうだ。 夕食時、ホテルで教えてもらった地元の人しか入らないという小さな食堂へ。家内の胃がやや不調なの
5/27(火) 今日は良い天気。7時に朝食を取り、8時に金毘羅さんへ。とても上まで登る体
今日の宿泊場所に向かう。松山近くの海ぞいにある温泉施設。我々の部屋には普通の温泉室と露天風呂にサウナまで個人用に備え付けられていて24時間使用でき、1室1泊使用料が11,000円だから1人分
夕食を食堂のベランダで夕日が沈むのを見ながら味わう。広大な海原の彼方に大きな太陽がゆっくりと沈むのを何枚も写真に収める。横浜から地元の学校時代の同期会に出席のために来たという私と同年齢の男が話しかけて来た。子供の頃この辺りの海を泳いで島に渡り、教師に怒られた思い出を話してくれる。地元の出身の彼もこの宿を選んだのだからやはり普通の宿ではないのだろう。明日はもう帰京の日だ。この9日間ほとんど快晴の天気に恵まれ、 |