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日本は、いろいろな意味で、両極端が共存する国だと説明することがある。明治神宮と表参道も非常に対照的な日本を紹介するのに都合がいい。都心とは思えない鬱蒼とした静かな森とその中に埋まる古式ゆかしい神殿が、原宿駅を境に「竹下通り」のエキセントリックな雑踏と表参道の超モダンな高級ブランド店の奇抜なデザインの世界へと一転する。
 原宿駅の西側にある12メートルの鳥居は日本一だ。日本には直径1.2mもあるヒノキはないので、台湾の山奥にあった樹齢1500年の大木を切り倒してきたもってきたらしい。そしてその背後にある樹木17万本の森も100年前に全部全国からの献木を植林した人工林でと説明していると目の前で管理人が大きなホーキで落ち葉を掃いている。それを見ていて下の玉砂利を動かさずに上の落ち葉だけをうまく取り除く技に外人はびっくりする。そして外国なら、大きなブローワーで吹き飛ばしてしまうのに、これは極めて日本的だとその繊細さに感心する。
 やがて、献納された大きな酒樽が高く積み上げられたところを通りかかる。例外なく「あれは何だ?」ということになる。「酒樽!」ということになると、世界には酒は麻薬の扱いと同じで禁酒しているところもあるくらいだから、酒は神と結びつきにくい。「キリスト教でワインがキリストの血と考えられているのと同じで、日本でも酒は神聖なものと考えられていて、神事では欠かせない」といえば一応は納得する。さらに「人は酔うことで現実世界を離れて別の世界を経験する。それは神の世界に近いのかも」などというとニヤリとなるが、「酒の出来不出来は、技術や管理だけでなく、『運』もものを言うので、酒造会社は『幸運』を願って奉納するのだ」というと分かってくれる。
 鳥居や神殿には菊の紋が目に付く。なぜ天皇家の紋章が菊なのかということも聞かれる。仕方がないので、ルース・ベネディクトの「菊と刀」を思い出させ、「日本人は菊を愛でる美の心を持つ一方で戦いの象徴である日本刀にあこがれる一面も持つ」と分析するアメリカ人に助けてもらう。毎年秋には菊花展で本殿前の参道両側が菊一色になる。外国では菊の大輪を咲かせることはしないようだが、Bonsai(盆栽)も結構有名だし、外人の興味を引く。細い管状の花びら(?)を持つ菊は外国でも珍しいらしく、フランスではjapanという名前が付いているそうだ。
 明治神宮では年間1300組もの結婚式が行われるようで、特に週末は必ず和服姿の花嫁花婿が庭で写真を撮っている。赤いカラ傘を持った嫁婿が赤い袴の巫女さんに先導されて行進する行列に出会うと外人は興味津々だ。駆けていき、夢中になってビデオカメラやデジカメを動かす。これも我々が外国で結婚式に遭遇すると夢中になるのと同じだ。そして七五三の季節になるとこれに小さな子供の和服姿が加わり、大いに写真を撮らせてもらって、彼らは「今日は幸運だったなあ」となる。
 毎年日本一の300万人以上の初詣客が訪れる本殿前は、賽銭箱は除かれて、臨時の柵が作られ、その中に賽銭を投げ込むようになっているようだが、そのとき投げられた硬貨の多くが本殿の柱や扉を直撃するらしい。だから、ヒノキの柱や扉は「硬貨の直撃」で出来たキズが無数にある。最初に外国人から質問を受けて聞いてみるまで、私も何だか分からなかったが、これを見ただけでも大晦日の大混乱は想像を絶するものがある。
 お寺と神社の区別もつかない人が多いので、「ここはお寺ではなく、神社なので仏像は一切なく、神体は太陽神を象徴する丸い鏡が置かれているだけで、礼拝の仕方も違うのです」と教えるが、明治神宮は「神」を祭ったものではない。明治天皇という「人」を祭ったものだ。近くにはやはりロシア、バルチック艦隊を破った東郷平八郎元帥を祭った「東郷神社」があり、これも「人」に奉げられた神社だし日光の東照宮や大猷院廟にしても徳川家康・家光という「人間」だけが祭られている。つまり「特に日本の神道では大きな『功績』があったとみなされる人は神として扱われる。あなた方も日本人だったら『神』になれたかもしれませんよ!」というと、キリスト教などとは全く違って、神道がどんな仕組みなのか少しはイメージがつかめるようだ。
 今でも泉が湧き出ている神宮内苑は、ショウブ園が有名だが、昭憲皇太后が釣りを楽しんだという大きな池では鯉の群れが大きな口を開けて今でも釣ってくれと言わんばかりだ。内苑は入園料500円を取られるので人が少なく静かだし、池を見下ろす小高い場所に緑に囲まれて立つ茶室は外国人が心に描く日本のイメージと合うようだ。都心にいるのを忘れさせる秋の紅葉も、地方の紅葉の名所以上の趣があり、連れて行った外人も感動し感謝される。
 しかし、原宿駅に戻ると、若者が溢れ、路上は大混乱だ。週末は路上で以前の「竹の子族」まがいのコスプレ(costume play)が横行、奇妙キテレツなヘアスタイルと衣装で注意を引こうとする輩であふれる。あの神宮の静寂からの落差に驚いて、気持ちの転換ができないまま、満員電車のような人波をかき分けて竹下通りへ行くのが定番。この狭い通りにうずまく人ごみ、若者向けのカラフルなファッションを売る店、100円ショップ、500円ショップ、奇妙な日本語で呼び込みをする黒人、林立するファースト・フードの看板、派手派手なデザインのウィンドウ、アイスクリームとクレープのスタンド、靴下と手袋だけを売る店もある。絶えず後ろや横から押されて、写真を撮ろうと立ち止まることも困難。グループの人数が多くなくても迷子を作らないように気を使うことしきり。
 「竹下通り」から「明治通り」を横切って、「原宿通り」へ進み、左折したところに「デザイン・フェスタ」という奇妙な建物がある。原色の継ぎはぎがケバケバしい正面の壁一面に、鉛のパイプを、からまったクモの巣のように無造作に張り巡らせたデザイン。入口近くに置かれた大きなゴミ箱や階段にもサイケデリックな色彩の模様が施されていて、建物の一部に溶け込んでいる。狭い入口から入ると原色のペンキを塗りたくった廊下に沿って、小さな展示室が並んでいて、誰でもそこを借りて小さな「個展」を開けるという仕組み。在日外人も加わって自由で国際的な雰囲気もあるが、外見が奇抜な割には、中の展示はあまり非凡なものがないような印象を受ける。外人用のガイドブックLonely Planet Tokyoにも紹介があるので、デザインに興味がある向きを案内することがある。
 表参道のケヤキ並木は、銀座通りとは全く違った雰囲気を持つ。欧米の高級ブランド店が並ぶ中に外人が驚く2つの、ブランド店ではない店がある。「キディー・ランド」と「オリエンタル・バザール」だ。20年くらい前には日本のテレビ漫画は欧米にも輸出され、日本産キャラクター・グッズも出回っていて、当時子供だった今の欧米の若者も「ドラえもん」や「ハロー・キティ」で育ったらしい。欧米から来る新婚のカップルなどがドラえもんの人形を見ると感嘆の声をあげるのにはこっちがびっくりする。一方でキティ・グッズを求めてさまよう若者もいる。「キディ・ランド」は地上4階地下1階全部が玩具売り場。こんな大きな玩具専門店は例がないらしい。オーストラリアから来た父娘の2人連れを案内したことがある。4階を見ているとき
 「下の階に連れの5歳の女の子が好きなものを見つけていた。それをこっそり買って持ち帰り、誕生日に急に渡してびっくりさせたいから」と言って、私に小さな女の子を頼み、混雑する中を1人で下の階に下りていって手配した父親がいた位だ。
 一方、オリエンタル・バザールは、浅草の仲見世より種類も多く、少しだけ高級かなと思える程度の外人用おみやげ店。まあまあの値段なので、おみやげが必要な客は気に入ったものを見つけると、大抵は大量に積み上げるほど買いこんで行く。日本のカラフルなキモノやユカタ、日本の漢字やイメージ入ったTシャツ、浮世絵、扇子、提灯、ヤキモノから根付や壁紙まで人によって趣味は違うが全部日本の「伝統的」なものであるのは彼らの日本のイメージがそうは変わらないことを示しているようだ。
 逆にもう少し今風の日本のデザイナーに興味がある人も多い。建築では1964年の東京オリンピックの頃には競泳プールがあった国立代々木室内競技場は原宿駅前の陸橋からよく説明する。これは丹下健三の作品だが、先ほどのオリエンタル・バザール近くにある奇妙なガラス張りの森英恵ビルも彼の作品だし、新宿の都庁ビルを設計したのも丹下だから1日に回るコースの中で彼の作品3つに出会え、喜ばれることがある。更に、浜離宮から新橋駅へ歩いて来るとき、よく聞かれる変わった建物がある。丹下健三氏の弟子、黒川紀章が若い頃設計した「中銀カプセルタワービル」だ。鳥の巣箱を大きくしたような、丸窓が1つだけあるコンクリートの箱がいくつも柱にくっついている感じの建物。12m×2m×4mくらいの空間がベッドもトイレもある生活空間で、このカプセルを工場で作ってここへ持ってきてくっつけたり、取り替えたりする仕組み。「家」もここまで単純化出来るのだという見本だし、家の固定観念を壊してくれるのが面白い。
 現代的な日本のファッションを求める向きには、表参道を更に進んで青山通りを横断して行く。右側にあるコム・デ・ギャルソン(Comme des Garcons)を筆頭にこのあたり一帯は日本発信の奇抜なデザインのファッション店が目に付く。私などのファッション音痴から見ると、値段には01つか2つ余計に付いているという感じだが、お客によっては店中をひっくり返すほど次々に商品を取り出させて、夢中になってショッピングをする。
 青山通りと表参道の交差点の北西角に秋葉神社という小さな社があり、その背後へちょっと入ると「善光寺」という小さなお寺がある。シャネルやルイ・ヴィトンといった高級ブランド店の豪華なビルが並ぶ表通りから20m程度入っただけなのに、あの雑踏がウソのような静けさ。両極端の隣り合わせがここにもある。本堂の脇には数寄屋造りの門があり、開放的で脇の墓地にもかってに入っていけるお寺だ。「この狭い東京では土葬は禁止。全て火葬。個人の墓石は少なく、家族全体で1つを共有。お骨だけを壷に入れて家族の墓石の下に入れて、脇の墓碑に戒名を小さく彫り込む。墓不足は深刻で墓のアパートまで出来ている」などということも我々には当たり前のことだが、習慣の異なる外人は驚きの表情を示す。
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戦災ですべてが失われた東京と違って、鎌倉は大仏や八幡宮の大銀杏など800年前の鎌倉幕府の面影が残る。だが、西欧の十字架やマリア像などの世界から見ると、120トンもある野外のブロンズ大仏はお化けに過ぎないかもしれない。この国宝像に対峙して拝んでいる日本人はほとんどいないが、タイやビルマの人はここで土下座をしていくという。永井路子氏によると、当時の北条氏が政敵であった三浦一族数百人をこの地で惨殺し、その罪滅ぼしに造立したのではないかというが、この像についても実際は何も分かっていないらしい。沢山のブツブツに見える大仏の頭髪に興味を持つ外人がいる。「螺髪」といって右巻きの小さな巻き毛が656個もあり、仏が悟りを開いたときに現れる「頭髪現象」とか言われているが、これもミステリーの1つ。もとは「大仏殿」があり、大仏もその中に鎮座していたらしいが、度重なる台風や洪水で破壊され流されて、重量のある銅像だけが残ったので、あきらめて青天井のままにした。銅像は下の参拝者の方を見る形なので、前にうつむきかげんに作られている。だから頭部の重心が前にあり、関東大震災などで首に亀裂が入ったのを修復したあとがある。

東京と違って、鎌倉の寺は、外人を連れて行くとガイドはタダで入れてくれる。私のガイド免許は35年も前に取ったもので、全く別人のような若いときの写真が付いたカードをおずおずと入口で提示することになる。外人に見せると実物との落差で大笑いになる。

大仏の近くの長谷寺も変化に富んでいて外人に人気がある。まず入口右の山門。真ん中に大きな提灯が下がっていて浅草の雷門を少し小さくしたような感じだが、門自体が太い松の陰にあり、古くひなびていてずっと趣がある。しかしその門は通らせてもらえない。人通りがないのでその前で写真を撮るのには好都合。無味乾燥な脇の駐車場から券売所を通って庭に入る。小さな日本庭園は水が豊富でアヤメなども風流だ。しかし階段を上がった途中にある無数の地蔵は大抵の外人を驚かす。石像にかかる赤いヨダレかけや赤ちゃん帽は何のタメ? という質問が必ず飛んでくる。そこで、まず、「日本では妊娠中絶は合法的なのです」と言って説明を始める。「中絶された赤ん坊や不幸にして死産になった赤ん坊への罪滅ぼしや供養の気持ちから小さな地蔵さんを奉げる習慣が生まれ、赤ん坊の身代わり地蔵だからヨダレかけや帽子も添えるのです」というと驚きと納得の表情になる。階段を上がると、すぐ鐘楼がある。東京ではなかなか見られない釣鐘を見せられるし、108の煩悩を除去する行事の「除夜の鐘」のことにも触れられる。頼朝が厄払いに作ったという阿弥陀堂の阿弥陀如来なども京都に行かない人たちには良い「仏像体験」にもなる。しかし何より良いのが展望台の眺望だ。太平洋が眼下に広がり、「ほら向こうにサンフランシスコが見えるよ!」と言うと、笑いながらも、アメリカ人は望郷の念に駆られる人もいる。

この辺は海岸が近い。外人向けの適当な食堂もないので、晴天時にはコンビニで食べたいものを選ばせて、海岸でピクニックというのもいい。だが海岸の汚さはひどいものだ。「道路や駅、電車の中などはチリ1つ落ちてない日本で、どうして海岸はこんなにゴミの山なのか?」と率直に疑問の声があがる。「ビーチが近い」と言うと、すぐに「行きたい」ということになるが、大抵はがっかりで声も出ない。しかし日本人はゴミと隣り合わせでも水着で結構楽しそうにしているのを見て不思議そうな様子。ヨーロッパなどの海岸とのイメージ落差はどうにもならない。
 この他、鎌倉では鶴岡八幡宮、円覚寺、若宮大路ショッピングなどをよく楽しむが、長くなるので別の機会に譲る。

東京の日本人だと箱根といえばドライブということになるが、外人の個人旅行をガイドするときは普通公共交通機関を使う。しかしその方が変化に富んだ旅になる。小田急が「箱根フリーパス」という切符を割安に出していて、特急券を買い足せば新宿から「ロマンスカー」で箱根湯本まで1時間半弱で行くし、費用も新幹線で小田原へ行くよりずっと安い。スイッチバックの登山電車や空中ケーブルカーで雄大な景色を見下ろしている間に、大涌谷の活火山帯のど真ん中に着陸。都心から3時間程度で地球のマグマ活動が垣間見られる「地獄」(この一帯をBig Hellという)を体験することは、特に火山のない国から来た人たちには強烈な思い出になるようだ。火山ガスの硫黄の臭いや噴出するお湯で出来る黒卵なども印象的だが、もし雲がなければ姿を現す富士山の眺めは抜群。しかし観光シーズン中には富士山が姿を現す日はあまりない。雲に覆われて見ることが出来なかった不運な人たちの中には茶屋で富士山の絵葉書を買ってそれをビデオに収めていく人もいる。国に帰って「見てきたよ!」と報告するのだと、笑いながら言う。はるばる遠くから来たのにあわれだ。

更にフリーパスで空中を芦の湖畔へ降りる。子供だましの海賊船で対岸の元箱根付近へ。観光客の数が多いのに船が小さいので、甲板には椅子が全くない上に満員電車なみの混雑になることもある。晴天のときに船室の中に居たのでは新鮮な空気にも当れない。それに船室の天井が低く、外人には頭が当ってしまうので常に中腰で移動することになり大変。それでも甲板に立って緑に囲まれた真っ青な湖を走るのは爽快で、歓声をあげてカメラを撮りまくる。遠くの岸辺に箱根神社の小さな赤い鳥居が見える。ミニ厳島だ。これで富士山が背景に現れてくれれば彼らが描く日本のイメージが再現するのだが、富士山は日本人的で恥ずかしがりや。すぐどこかに隠れてしまう。

温泉を経験したいという外人もいる。日帰り温泉も多くなったので、同性だと湯船を共有することもある。水着をつけないで入る習慣や日本の湯の温度がかなり高いこともあり、違和感があるようだが、自然の雰囲気を取り入れた岩風呂や特に露天風呂は興味津々。風呂場にカメラを持ち込んで「記念撮影」になる。外国だとポリ容器の小さなバスタブがプールなどの側に置いてあるだけで、「温泉があります」と宣伝しているモテルもあったので、かなりイメージの違いがある。

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