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アパート暮らしとラディックさん

 もとはと言えば25年前にさかのぼる。当時小山台高校を訪問して英語の授業を手伝いながら、短期間に日本文化に触れたいというカナダ人がいた。たまたまホームステイ先を探していたので、私の家に1週間位滞在してもらって、周辺を案内したり、家族でお茶お琴などに理解を深めてもらった。そのあとクリスマスカードのやりとりは続いていたが、今度私の退職を機会に、カナダでアパート暮らしを1ヶ月くらいやってみようと、彼ら夫妻に斡旋を頼んでみた。バンクーバー近くで、家具付きの上、短期間契約で交通の便がいいところとなるとなかなか難しいようだったが、たまたま彼らの友人の一人がイギリスに旅行している間、そのアパートがあくので、1週間12,000円でどうかという話があり、OKした。
 それはバンクーバーから南に車で20分くらいのLadnerというベッドタウンで、歩いてマーケット街にいける位置なのに、静かな2階建ての1階だった。この写真の右側中央付近の部屋である。
 中は1LDKというのか、大きなダブルベッドとL字型のソファ(彼らはChesterfieldと呼ぶ)にきれいなガラス板のテーブル。エアコンやステレオ、テレビなどに加えて、片側の壁には前面が一面全体、鏡になった箪笥のような家具があり、2カ所に蝶番があるので、何だろうと背後を調べたら、後ろから入れる収納庫だった。台所は4つの電気コンロがあり、大きな冷蔵庫の中にはHladik夫妻が果物から、朝食のトーストに塗る黒ゴマスプレッドまで用意してあった。
 梅雨の日本を脱出してきたのだか、こちらでは5月晴れに戻ったようで、暑くなく寒くなく快適そのもの。ただ部屋の中は、欧米はいつもそうであるように、部屋全体を照らす照明がなく、スタンドが3つ、それぞれのコーナーを照らすだけだし、風呂場の脱衣場の真上から熱線を照射するヒートランプ、敷き詰められた分厚い深緑の絨毯から、食卓の砂糖や塩の入れ物、紙ナプキンの込み入った模様まで、ここはカナダだなあと実感させてくれる。冷蔵庫に用意していてくれたもので簡単に軽食をすませ、ベッドにちょっと横になったとたんに、時差疲れからか、寝入ってしまった。電話のベルで目が覚める。もう次の日の朝だ。奥さんの Margaretさんからの電話だった。1時間後に迎えにくるという。彼らの家はそこから車で15分くらい南のTsawwassen(ツァワッセン)という、やや高級な住宅地。港が近く、そこからは対岸のバンクーバー島(と言っても九州くらいの大きさの島だが)のブリティッシュ・コロンビア州の州都であるVictoriaへ大きなフェリーが出ている。彼女の夫Horstはそのフェリー会社の技師で ある。Margaretはバンクーバー市内のUniversity of British Columbiaのキャンパス内にある学生寮の寮長をやっていた人だが、もう引退して悠々自適の生活。
 200坪くらいの敷地には白壁の木造2階建ての母屋以外に、ウラにはHorstさんの大きな作業棟と小さな物置の他に、キャンプ用のトレーラーが大小2つ、ボートが2艘、ホンダとフォードの乗用車、フォルクスワーゲンのボックスカー、ビートルと言われたカブトムシ型の車、それに車庫には少し古い大型のキャデラックまでそろっている。こどもがいない2人だけの家庭に車だけでも5台もなぜ必要なの、とからかってやったら、奥さんは、ばつが悪そうに、全部中古だから全部たしても1台の新車くらいの価値しかないのよ、と言っていた。しかしどうも主人の趣味のコレクションらしく、友達が年をとって運転できなくなったものを安く譲ってもらったんだと弁解する一方で、彼が車を見るときの並外れた好奇心は、そばにいてもよく分かった。
  ドイツ系の技師だけあって、無線は短波、FM、中波すべてをこなし、特別の免許をもっているので、自分で裏庭に大きな鉄塔を建てて、世界地図と連動させて、リモコンで正確な角度に向きをかえて交信していた。その音の感度の良いこと。短波も、とても短波と思えないほどのものだったが、ほとんど日本製だという。パソコンもWindows2000で、我々のためにGlobal IMEを入れてメイルで日本語が読めるようにしておいてくれたのだが、返事を日本語で打とうとすると調整がうまくいかず、メイルを出すのは英語になってしまった。ついでに、付近のパソコンショップでカードリーダーを買ってプレゼントし、私のデジカメのメモリーにある800枚もの写真をパソコンに取り込んで、彼らに見てもらい、私はCDRWに入れて持ち帰らせてもらったのは助かった。
 この写真は彼らの家の2階にある10畳くらいのサンルームで、屋根はガラスになっているのだが、何とHorstさん(右端)が自分で建てたという。1階からの太い通し柱が何本もあり、大きなガラス窓のデザインといい、の天井の造作といい素人とは思えないできであった。カナダ最後の日に、彼らの友人Albert氏(左端)とその奥さんのJasmineさん(その隣)が訪れてきたときもこのサンルームで談笑したが、パーティにも使えるスペースなのだ。
 一方Margaretさんの方も蒐集家で、antique(骨董)と聞くと、とたんに目に色が変わる。子供が居ないので、SweetieとBlackieという2匹の猫が居る。Victoriaで、A house is not a home without a cat(猫が居てはじめて家が家庭になる)と書かれたプレートをプレゼントしたら苦笑いをしていた。しかし玄関には、「この家の主人は猫であり、我々はその召使いである」と書かれた敷物が置いてある。猫は2匹ですんだが、自分で綿を詰めて作った人形は家中に雑居している。日本人形も見事な姿で置かれているが、上には詰めもののオウムやねずみ、あらゆる動物も見え隠れする。その他、銀細工、ネツケ、陶器類から仏像まで、まるで博物館のようだ。実際、町で骨董品屋に入ったら、「ここより私の家の方が品が豊富ね」とこっそり耳打ちする。本当だ。しかしこれらの蒐集品の多くは、彼女によるとgarage sale(引越の時など不要品を自分のガレージで売る叩き売り)で極端に安く仕入れた物だという。実際彼女がしている腕時計もgarage saleで1ドル半で見つけたもの。
 やや暑い午後だったが、Horstさんは電動芝刈り機で前後の庭の芝をきれいに刈っていく。私もやらせてもらったが、手前の2本のバーを握るだけで前にどんどん進んでくれるので、押す必要もない。刈られた草も布袋に自動的にたまっていく。芝を刈ったので、一服しようと彼が白塗りのデッキチェアをウラから持ってきた。フランス製で機能的にできていたが、これもgarage saleでうんと安く手に入れたそうだ。不要品を捨てないで、「草の根リサイクル」で利用していくのにgarage saleは社会によく根付いている感じがする。
 右の写真はカナダの国花dogwoodで「はなみづき」の一種だが、花も葉もはるかに重量感がある。ちょうどサクラが白く満開になった感じで、それを葉っぱが支えている。今、カナダのどこにいても目に付く。その下の猫(?)は、やはりHladikさんのサンルームのガラス窓に置かれたステンドグラスのような作品。ガラス越しに裏庭が見えるが、青いシートに覆われているのはレジャー用のボート、そlの横は道具用の小屋。実はその右の見えないところに、その6倍ほどの作業小屋がある。この右の杉は高さが60mにもなり、かなりの老木で、強風などで母屋側に倒れる危険があるが、ご主人のお気に入りとあっては、そう簡単に切り倒すわけにもいかないようであった。
 今度はHorst氏の蒐集癖とドイツ的国民性の見本と考えられるのは、楽器とライフル銃だろう。彼が吹いているのは6つが1つになったハーモニカである。軸を中心に放射状にセットされた6つのハーモニカは私も吹かせてもらったが、少しずつ調子が異なるものの組み合わせで、どんな音調の曲もこなせる。アコーディオンもボタンのたくさんある高級品、これでドイツ舞曲をやるから堂に入ったもの。ライフルも肩にズシッとくる重量感がある

 ドイツ系のHorstさんは生粋のイギリス人の血を引くMargaretさんに英語の点では一歩譲る。食事をしていて、料理がやや辛目なのをHorstさんがsharpと言うと、すぐにMargaretさんがspicyと言い直す。我々日本人を話題にしていて彼がskinny(やせている)という言葉を使うと、slimと言いなさいとたしなめるといった具合である。こういう場面に接すると、英語で苦労するのは日本人ばかりではないという安堵感、彼女の英国人としてもプライドと、女性上位はやっぱり世界的なのかと思う。



カナダの日本語授業

 次の日、Hladikさんが紹介をしてくれたその町の中高等学校South Delta Secondary Schoolを訪ねた。たまたまMr. Hiroshi Jensenという先生が日本語の授業をするというので参観した。彼は見かけはカナダ人だが、おじいさんは日本人だったそうで、小さいころ日本にいたこともあるという。10年生(高1)と11年生(高2)の合わせて20人位の授業だったが、1学期最後の授業ということもあり、試験勉強も必要というので、高2の10名くらいはコンピュータ室へ移動し、組み込まれたプログラムで自学自習。残りの10名くらいの高1生が教室で、助詞の使い方の授業を受け、そのあと課題の、日本語によるスキットの練習をした。授業は文法の説明が中心で、例えば「公園に」と「公園へ」「公園で」の使い分けとか、「これは」というのは正しいが「これの本は」ではなく「この本は」が正しいといったかなり細かい用法の説明であった。もちろんほとんど英語での説明である。途中先生がパソコン室の様子を見に行かれた間に、日本語で質問を受けてゆっくりと日本語で答えてやったが、2、3人しかよくは 分かっていないようで、分かった生徒が別の生徒に英訳してやったのを私が聞いていてThat's right.などと返してやるようなありさまであった。
 パソコン室のプログラムは丁度日本のセンター試験の英語程度の内容の日本語による問題で、内容に関して与えられた回答の選択肢から選んで答えていくやり方だった。進度はまちまちで出きる子はかなり細かい内容の比較的長い文もこなしていた。3割くらいは東洋人の顔つきの生徒で、親か祖父母などが日系人で、そのための興味から日本語を選択したようであった。1年間に記憶すべき漢字もA4用紙半分くらいあり、漢字の暗記テストが成績に入ると先生がいうと、生徒がため息をつく風景もあり、いずこも同じ教室の反応であった。でも日本語による創作スキット(寸劇)は、結構熱演もあった。
誰かがどこからともなくお手玉をもってきた。しかし彼らはすぐに円陣を作り、それをサッカーボールよろしく蹴上げて回し始めた。先生までそれに加わった。やっぱりここはカナダなんだ。帰りに入り口でCollins校長に紹介された。そのときたまたま警官が現れた。何だと思ったらこの学校担当の警官で、定期的に巡回して来るという。授業にも出て、話もするそうである。1400人もの生徒がいる公立の大規模校だし、いろいろなことが起こっているようであった。
 ついでだが、Hladik夫妻の隣のうちの奥さんは小学校の校長さん(左の写真の左側の人)だった。ある朝学校から戻ってきたのにぶっつかった。何だと思ったら、飼い猫が昨夜から行方不明で心配になったらしい。先生方が授業中に、猫が気になって帰宅できるのは管理職の特権ですな、と言ったら苦笑いしていたが、昨夜は遅くまで父母との協議会が延々と続いて大変だったと、その苦労を早口でまくし立てた。いずこも同じ、せちがらい「師走」の時代になったようだ。

●15分先がアメリカ

Tsawwassenというところはカナダの西海岸を南に向かって細長く垂れ下がった半島の中程にある。その半島の先はアメリカとの国境となる北緯49度線の南まで延びていて、その部分はアメリカ本土から離れたアメリカ領土になる。その「小さな」アメリカへ案内してもらった。一応国境の検問所はあるが、カナダ人は簡単な身分証明書だけで通過できる。通貨もカナダドルが普通に使えるようだ。
 特に面白いのはこの右の写真のところで、この道路が国境になっている。この中央から左がアメリカで、右側がカナダである。ここは人が住んでいる区域以外はフェンスもない。車で通っていたら、右側の家から、フェンスを越えて犬が出てきた。道路に侵入してきた犬を見て車を止めたHorstさんが言った。「おまえパスポート持ってるか?」と。柵の向こうの家の庭でバーベキューの夕食準備をしていた奥さんが笑った

Bird Sanctuary「保護区」へ

 つぎの朝、Horst氏がこのTsawwassenにある「鳥類保護区」へやるという。この半島の周囲は湿原にもなっていて、10月下旬にもなると、数十万羽の渡り鳥で埋まる場所でもあるという。保護区の入口は厳重にフェンスがあり、シニアつまり60歳以上だと2ドルでフリーパス。中は広い。入口のところから小さなCanadian Geeseが群をなして我々に迫ってくる。中には私の足をくちばしでつついて餌を催促する。入口で50セントだすと餌を売ってくれたらしいのだが、うっかり買わなかったので、大変である。あとできたカナダ人の女性たちはちゃんと買っていたけど、鳥達のしつっこさに悲鳴をあげていた。今はオフシーズンのはずで、鳥が居ないはずなのにと思いきや、簡単に餌にありつけることから、。住みついてしまったのだという。鳥が人間を襲うヒッチコックの映画「鳥」を思い出してしまった。ずっと奥にいくと、鉄塔のような展望塔があった。高所恐怖症をおして登ると、帽子を押さえていないと飛んでしまうほどの強風で、恐る恐る見渡すと、一面の湿原で、向こうに雪をかぶった山々が望まれた。熱帯の方からアラスカの方に向かったりその反対方向に行く渡り鳥がここで骨休めと栄養補給をするには最適の場所のようだった。




ハープ・コンサートの夕べ

6/9の晩、Horst夫妻が仲間の退職記念パーティに行く予定になっているのにハープのコンサートの券があるというので、行かせてもらった。地方のコミュニティ・センターだったが、丁度教会のようなこじんまりした場所で、観客もお互いに顔見知りみたいで、家族的な雰囲気であった。ハープの専門の女性は2人でそれに、変わった楽器をあやつる男性が一人と、ハープの女性の小さな子供が時々共演していた。途中でその子が一人でGreen Sleevesを弾く場面もあり、観客も感心して引き込まれていた。
 途中で、演奏者が衣装替えをするあいだ観客の一人をあてて、前に出させ、ハープを弾かせるということもやった。が、そのときどういう訳か、ハープの奏者が私を指さして、前に出て弾くように指名した。こういう楽器の経験は全くないし、異国でもあるので、地元の人に譲ったが、突然でびっくりした。右の写真は、その地元の人が弾いてみている様子。日本人も外国では外人だし、特に単独の日本人旅行者は、現地人の目を引くようだ




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