11時にBarcelona Sants駅を出るスペインの新幹線AVGに乗るために早めにホテルを出る。地下鉄は次の電車が来るのを秒単位で知らせる表示板があるなど、気が利いている反面、下りのエスカレーターがないため、大きな荷物を持ち歩く旅行者には厄介だ。でも鉄道のタ 定刻どおり12時半まえにZaragoza駅に滑り込む。屋内野球場を思わせるほど天井が高く、広い。 Google mapのStreet-viewで前もって駅前の様子を見ておいたので、初めてきたときの驚きはなく、なじんだ場所の親近感がある。予約したホテルの位置も手に取るように分かる。前もってかなりのことが分かることへの議論はあるだろうが、それを利用すると別の楽しみも増えるし、予想に裏切られることも少ない。実際、駅前のEurostars Plaza Deliciasというホテルはちょっと分かりにくい袋小路にあるので、Webでホテルへの評価を読むと「見つけるのにずいぶん時間がかかった」というものが多かった。だからGoogle Mapできちんと位置を確認しておいたことが大いに役に立ち時間の無駄が省けた。自分なりの地図を作って、明日ここに迎えに来てくれるCarmenさんに送っておいたら、ありがとうと返事が来た。Webを利用すると、スペインの地元のことを、東京にいても普通のスペイン人たち以上に細かく分かるのも事実だ。 4/13(火) Logrono 朝9:20窓の外を見ると車が見える。もうCarmenさんたちが迎えに来てくれたらしい。下に行くとCarlosさんと2人の笑顔が迎えてくれる。早速Zaragoza市内の見学へ。マドリード、バルセロナ、バレンシア、セビリアに次ぐ人口65万のスペイン5番目の大都市で、2008年にも万博が開 ZaragozaからCarlosさんの運転で北方170キロ離れたLogronoに向う。彼らは朝早く起きてわざわざこんな距離を我々のために迎えに来てくれたのだ。途中、広々とした平野が広がる。遠くのちょっと高いところにはやたらに風車が目に付く。と言ってもドンキホーテが見間違えた白い塔の先に付いた大きな黒い羽の風車ではない。細い竹トンボ 特に料金所などはなかったが、我々は有料道路を走っていた。広い道路なのに車はほとんど通らない。200m位右の方にこの道路と平行して走っている道路がある。一般道だという。そちらの交通量も多くはない。高速道の方が信号機もないので、気が楽だからという理由だけで利用しているという。その程度の動機で利用できる料金のようだ。Carmenさんはこの生まれも育ちもRioja州で、車は彼女が生まれたという町の近くを通過。まだ母親が生きていてがんばっているという。CarmenさんがCDをかけてくれる。静かな気持ちのいい音楽。しかしスペインの音楽ではなく、アメリカのフォークだという。この広々とした空間を進むのは、アメリカの中西部を行く感じにつながるものがある。 ![]() Logronoが近づくと郊外には工場が並ぶ。さすがLa Rioja州の州都だけあってかなり大きな都市だ。ピンク色の八重桜のようなサクラが街路や広場に燃える。一方四方八方に出る枝をハブのところでを短く剪定した太い樹木が目に付く。大木が無数のゲンコツまわりに突き出しているようだ。我々はその広場から脇の旧市街へ案内された。スペイン名物の立ち食いバーが目に付く。その通りで彼らの息子夫婦DanielとLauraが待っていた。Daniel君は生まれたときに医師が腰の神経を誤って切断したために車椅子の生活だ。しかしかつて東京を訪ねたときと同じように実に敏捷に車椅子を操り動き回る。付近のバーの一つDonostiという店に
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![]() Logronoの全体を見るためにEbro河の北にある丘に上がる。この都市はフランス全土から東のピレネー山脈を越えて集まる巡礼者のルートの中にある。だから またこの地方はケルト人が紀元前15世紀、つまり最も古くから住み着いていたところで、丘の上にはケルト人の住居跡の石垣が今でも広く残っている。遠く南北にある山脈に囲まれた広大な盆地を見渡す小 そろそろ夕方になり、Logronoの南15キロ位の郊外にあるCarlos, Carmen夫妻の邸宅に向う。緑の草原と、桃やサクランボの木果樹園が続くところをしばらく走る。突然白いサクランボの花の向うに地肌が露出した茶色のゴツゴツした岩山が現れる。ヨセミテの岩山のように垂直に伸び、キノコの頭のような頂上がぶっつかりあう。なかなか変化に富んだ地形の場所に彼らの住まいはある。狭い田舎道をゆっくり進んでいくと鉄格子の長い門の傍に到着。待ち構えたように白いラブラドール出てくる。良くしつけられていて吠えることもなく、 大きな家だ。Daniel君の車椅子に合せて、全てに段差がないバリアフリーで作られていて、ドアや入口も広く、部屋の間もほとんど仕切りがない。それに庭の広さは境界がよく分からないほどだ。台所も2つあり、庭には4方がガラス張りの工房がある。Carmenさんが趣味で陶芸をしているので、中には釜もある。しかし夫のCarlosさんの趣味は果樹園で、広い庭には何と450本もの多種多様の果樹が植えられている。計画ではこれを600本まで増やす予定とか。十分間隔 やが 部屋に入るとCarmenさんの友人たちが到着している。彼女の弟とフラメンコの教師をしているCharo Alvarezさん、その父でフラメンコ・ギターを弾くAurelio氏。それに彼のギターに合せて歌う歌手のPedroさん。我々を歓迎してフラメンコを実演してくれるためにCarmenさんがわざわざ手配してくれていたらしい。Carmenさんの1歳半の孫娘Joanaちゃんはテーブルで上機嫌。小さな手に大きなスプーンをもって、日頃の恩返しか そしてみんなのお腹が満たされたころ、そのCarmenさんの居間で「フラメンコの夕べ」が始まった。最初にAurelio氏のギター独奏。スペイン人の
最後にAurelio氏が我々日本からの訪問者2人のために即興曲を作って演奏してくれた。よくリズムの効いている曲だが、やさしい美しい旋律。みなの手拍子に合せて、つめの先からほとばしり出る音色にしばし時を忘れ、うっとりと過ごしているうちに、もう真夜中の12時近くになっていた。Daniel君が私のところに来て、「あと5分で12時になったら、Feliz cumpleanos, Pedro!(誕生日おめでとう、ペドロ!)と叫んではどうか?」と言ってきた。知らぬ間にPedroの誕生日が近づいていた。 ![]()
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