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4/14() Logrono
915分に予定通りCarmenさんがホテルにピックアップに来てくれる。Carlosさんの運転で早速近くにあるワイナリーDinastia Vivancoというところへ。見渡す限りのぶどう園には、枝を落とされて、30cm位の短い幹に枝の根元が突き出しただけの「無残」な姿が林立する。しかし今朝のちょっとした小雨で、短いブドウの樹は湿り気を与えられ、生き生きとして見える。枝の付け根のところをみると緑の芽が出掛かっているが、これが1メートル以上の枝になりブドウをタワワに付けるのだから不思議だ。さすがにスペイン・ワインの本場であるこのリオハ地方はどこを見てもほとんどブドウ畑だけが、日本の稲作地方の水田のように仕切られて整然と並んでいる。水がないだけだ。

このワイナリーは私的な企業だがワイン博物館も備える一方で、大規模なワイン貯蔵庫も兼ね備えていて、1890年に醸造したものも、天井にまで達する大樽で大量に保存している。近くには木の樽の工場もあり、Carlosさんも240キロリットルの木樽で買って、自宅に保存し、家族はもちろん友人たちを招くパーティーでもそこから取り出すのだそうだ。

博物館には紀元前からのブドウ酒の製造に関する道具、機械、写真を展示しながら、その歴史、製造法、問題点などの解説がある。それにしてもこのスペイン・ブドウの心臓部、リオハに住むCarmenさん一家のブドウに対する思い入れは並ではない。時間を掛けてゆっくり見た後で早速試飲にかかる。大きなワイングラスに注いだワインを傾けながら光に透かして色を見極めたあとに丁寧に鼻を近づけゆっくりと香りを楽しんでから、わずかに舌の先につけ、舌の両横にも回して味わう。そして魚や肉、ハム、ソーセージをつまみながら、さらにその味を増幅させる。

これだけでもかなりお腹ができるのだが、Carlosさんは更に奥に別室を予約し、本格的な昼食のコースを予約していてくれた。ここでも種々のワインを並べ皆で味を比べる。私には正直なところあまりはっきりとした違いは分からなかったが、香りの違いや濃さ、まろやかさなど、多少の差は分かるような気がした。それにしても主料理のあとで、デザートとして大きなお菓子をほお張り、コーヒーやアイスクリームをたいらげ、更にブランデーまで飲みながらゆっくりと時間を過ごす国と、時間との競争で急いでかけ込むように口に入れる国とではかなり違う。

4/15() Logrono
昨日言われていたように、今日はCarlosさんは仕事で遠出なのでCarmenさんが迎えに現れる。少し小雨で寒い。近くのアパートに住むDaniel君のところで彼とLauraさんをピックアップ。早速Logronoから南西方向数10キロのところにある修道院を訪ねることにする。例によって限りなく続くブドウ畑の中の高速道路を行く。やがて地方道に入り、見渡す限りブドウ畑の茶色と、緑一色の麦畑のパッチワークのような風景が続く。深い緑の森が見える更に先の遠くの山並みが雲に隠れているところもあるが、時々雲の隙間から弱い日光がさすこともある。最初はCamino de Santiagoの方角を指していた交通標識がSan Millan de la Cogollaに変わる。ブドウ畑の中に時々現れる古い教会の尖塔、その回りを囲むようにひしめくレンガ色の家並みの中に入り込むと人通りもほとんどない曲がりくねった石畳の路地を進むことになる。Carmenさんは実に巧みにハンドルをさばき、狭い道も慣れたもの。やがて両岸に柳の木が続く川を見下ろす高台にあるSan Millanの村に入る。16世紀に出来た新しい修道院のYuso5世紀ころ山腹の洞穴にくっつけて建てられた古いSusoの見学。これらはUNESCOの世界遺産で、特に山腹のSusoへは車のすれ違いが困難な細い1本道が続いているだけなので、小さなシャトルバスだけが行き来している。しかし車椅子のDaniel君がバスに乗れないので、特に許可をとってCarmenさんの車に全員が乗ってシャトルバスの道を出かけることになった。車を降りるとあたりの山の寒さが身にしみる。でもSan Millanとその信奉者が引きこもって修行したという修道院の壁には当時の文字で落書きがしてあったり、彼の遺骨といわれるものや棺なども残っていて巡礼者の信仰を集めているようだ。ガイドはスペイン語だけで、Carmenさんがポイントを英語で一生懸命説明してくれる。洞窟はかなり奥まで続いていてかなりの人たちが閉じこもって隠遁生活をしていた形跡があちこちにある。よく歴史で習うアルタミラの洞窟もCarmenさんが学生のころはよく行ったというから、この近くらしい。高校生の課外実習らしい一団が先生の引率で静かに古い褐色の建物から出てきた。ドアの敷居が高いので、Daniel君が車椅子で入ろうとするのを皆が助けようとするが、彼は自分でやろうとして人に頼るのを嫌う。

今度は山を下ってYusoの修道院へ。ここは文字としてのスペイン語が初めて書かれたものが保存されているので有名とか。15世紀当時、聖書はラテン語で書かれたものしかなく、一般人はスペイン語で書かれたものを必要としていた状況から出現したそうだ。畳半畳くらいもあるしっかりした装丁の本が分厚い扉のある棚に格納されている。少なくとも100ページはありそうな本で数人で一緒に見るように作られているので見出し並の巨大な活字が使われている。でも紙を作る技術はまだ発達していない時代で、牛や動物を殺して皮を剥ぎ取り、伸ばして1ページにしたという。この本1冊を作るのに100頭の牛を殺したことになる。しかし動物を大量に虐殺して作られた本が聖書で、そのアーカイブになっている建物が修道院だったというのも何かチグハグな思いを残す。

例によって2時過ぎになって、そこから30分も離れたSanVicente de la Sonsierraという古い村にあるレストランへ。赤と白の壁に囲まれたデザインの変わったCasa Toniという店。世界的に有名なシェフのレストランだそうだ。狭い石畳の坂道に面した入口の脇の厚みのある壁には豪華客船の船室の窓を思わせる丸い大きなウィンドウが人目を引く。しかしその中にこんな変わったレストランがあるとは想像もできない。狭い入口を入ってバーになったカウンタを通り越して奥に行くと、白赤黒の大胆な色の壁に区切られた広い空間がある。日本の銭湯の風景画を思わせるリオハの図案化された田園風景を描いた壁、天井から伸びた大きな手がワインをグラスに流し込んでいる絵、良く見るとワインを注がれているその巨大なグラスの下から赤いワインが流れ出し、ここを流れるレブロ川の絵につながっていく。この河は良質ワインを生み出す源泉でこの地の人たちの誇りだ。赤壁の真ん中の間接照明のライトを覆う真っ白な皿、そこから銀色の長い線が飛び出ている。それを辿るとその線は3つに分かれスプーンの形に変わる。細い枝木のシルエットが皿、茶碗、カップ、ソーサーなど全てにデザインされた食器類。そこではヨーロッパ・シェフ・ランキングの最高峰の1Ferran Adriaの作った料理が出される。壁一面に描かれたスキンヘッドのひげ男はそのシェフなのか。前菜で出されたスペイン伝統料理のポテトスープは「これがポテトスープなの?」と言いたくなるデザインと味。白い大きな皿の真ん中のくぼみに薄茶色のソース状の「スープ」。その真ん中の赤い模様をスプーンですくうと白いスープの中に赤い帯が走って美しい。ポテトの味はあまりしないが、うまい。客が食べる過程も見通して、目、鼻や舌など多くの器官を総動員して楽しむようにプログラムされた料理。次に出てきたのは一見ケーキのように色鮮やかで、タレがベットリとかかり焦げ目が適当に付いたしろもの。口に入れると独特の味と香りに変わる。それを口の中でワインで更に風味をつけて味わう。更に黄色のチーズソースを一面に敷いた上にピンクの薄切り生牛肉を盛り付けたカルパッチョ。ワインを使って作ったワイン・パンまである。確かにワインの香りと味、それに色も少しブドウ色がかっている。食を楽しむとはこういうことかと改めて思う。

外に出てSan Vicenteの村の高台の下に広がる風景を眺める。両岸に繁茂する林の帯に守られたリブロ河が大きく蛇行する向こうにきちんと長方形に区切られたブドウ畑が広がる。まだ短い幹だけのブドウが並ぶ畑は茶色の縞模様で緑の空き地がところどころにアクセントを付ける。すぐ下には中世のレンガ造りの重厚な橋(Puente de San Vicente)が細い道路を支え、太い橋桁に流木をためている。しかしそのすぐ傍には流れるような曲線を描いて走る高速道路を支える鉄の橋けたは道路の下に隠れてよく見えない。

今度はそこから東北へ5キロくらいのところにある古い小さな修道院Santa Maria de la Piscinaに行く。12世紀初頭旧スペインの一部、アラゴン国の王子Don Ramiro Sanchezが十字軍遠征から帰国後ここに引きこもって聖母マリアと十字架のキリストを奉ったとのこと。全て石造りの小さなチャペルのような建物だが、当時の建物がそのままの形で残されているのはこの辺りでも珍しいらしい。広々とした盆地の高所ににある鐘楼付きの無人の壊れかけた遺物は異国的な独特の雰囲気がある。しかしもっと異様なのはこの建物の周りに広がる広大な岩の表面に石棺が数十個も掘られている光景だ。人間の形をそっくりくりぬいた様な無数のくぼみのある岩盤は、遺体やミイラがフラフラと出てきても不思議でないくらい。だがそのまわりには無数の黄色の小さな花が緑の草の中に散らばったように咲きホッとさせてくれる。

Logronoへ戻る途中のElciegoという小さな町のはずれに「リスカル侯爵」(Marques de Riscal)という名の妙な形の建物、ワイナリー兼ホテルがある。これはアメリカ人の世界的な名声を持つ建築家Frank O. Gehryが設計した風変わりな建造物だ。ちょっと見ると大地震と嵐で屋根がヨレヨレ、バラバラになり落下寸前でやっと引っかかっている感じの建物。しかし良く見ると大きく波打った屋根は色彩もピンク、金色、白、銀色と良く調和するように考えられていて、ヒサシの下突き出すように別の屋根が来て雨を防ぐように配置されている。しかも内部できちんと支えの柱が手を広げたように固定されているし、崩れ落ちそうな屋根の間からはきちんと設置された斜めの窓やドアが見える。このホテル兼ワイナリーは人気で予約が殺到しすぎてこなしきれないようだし、最低でも135,000円だそうだ。このリスカル侯爵という御仁は19世紀半ばにこの辺りでワイナリーを経営していたが、優秀なフランス・ワインをここに導入しようとして悪戦苦闘した人のようだ。彼の英断が元になって今ではフランスの技術から抜け出し、スペインのリオハ・ワインがフランスをしのぐほどになっているという。

最後に、CarmenさんとOto君の共通の趣味は陶芸ということで、Carmenさんが懇意にしている陶芸工房を見学しようということになった。Logrono南西10キロくらいのところにあるNavarreteという村のはずれにあるFajardo Lozanoという陶芸家(alfareria)の工房だ。5時を回っていたかと思うけど、Carmenさんの顔もきいて、快く見学させてくれた。電動のロクロを回しながら、回転台の上に置かれた粘土の塊が、見る間にツルツルの丸い壷や貯金箱(piggy-bank)に変形され完成させられる。ガスか電気の大型の焼き釜のある大きな倉庫の中は足の踏み場もないほどの作品や商品の数々が無造作に並ぶ。彼らが日本に来たとき、益子に連れて行ったことがあるが、日本の工房より作品がカラフルで形も多種多様の感じがする。装飾用だろうが、ペンギン、天使、道化などの像まである。側面に多くの皿の付いた窓のある大きな壷が目に付いた。窓の皿に更に小さな鉢を置くこともできるが、中に植物を置いたときにその枝がそれぞれの窓から伸びだすことも可能だそうだ。こんなものや発想は日本ではあまりなさそう。しかし日本にも輸出するものも作っているという。実際この付近は赤土の粘土質なので、ちょっと手先が器用でセンスのいい人なら、すぐにでも商売や趣味を生かせそうだ。<このページ上部へ移動>

 

4/16() Logrono--San Sebastian

今日から2日間、我々の予定を家族旅行として全員で同行案内してくださることになった。私がLogronoのあとに計画したSan Sebastian行きに家族全体で一緒に旅行し案内しようという親切心だ。もちろんすぐ隣のバスク地方と言われるビスケー湾沿いの町は彼らが精通しているし、ここも案内してもらうことになる。Carlosさんが運転する車にCarmenさんと私たち2人が同乗し、もう1台の車にDaniel君、LauraさんとJoanaちゃんが乗っていく。2台はお互いに携帯電話で場所を確かめ合いながら、快晴のドライブを楽しむ。

海岸に近づくせいか、あたりは緑が多くなった感じがする。途中でHemingwayの「日はまた昇る」("Fiesta"別名"The Sun Also Rises") で有名なPamplonaという町を通った。ここはHemingwayがほれ込み、上の小説で生き生きと描き出している「牛追い」(Running of the Bulls)で有名なところ。「牛追い」と言っても実は町の通りで「牛に追いかけられる」行事だ。毎年7/6141週間この町はこのお祭りのために100万もの人でごった返すという。ホテルも少ないので、多くの人は町や周辺の公園に転がって一夜をあかす。町も気をきかして公園にシャワーの設備をつけているという。元はこのPamplonaの大司教であった殉教者San Ferminをたたえる祭りだったものが、こんな形になった。実際この1週間の間、毎朝8時にPamplonaの市役所近くの石壁の中に埋め込まれたSan Ferminの像の前から6頭の暴れ牛が通りに放たれる。牛たちは前を逃げ回る群集を追いかけながら800m離れた闘牛場まで23分で突進する。そこでは待ち構えた闘牛士が大観衆の前で突進してくる牛と命をかけた感動的な闘いを演じ、大抵は槍を突き刺し殺してしまう。沿道の商店は頑丈なバリケードを築き、通りには杭の穴が開いていて、そこに柱を立て分厚い板で柵を作る。その柵には追い詰められた人たちが飛び込んでこれるように少し隙間が開けられている。普通の観光客は柵の外に立って見物するのだが、Calimochoと呼ばれるワインとコーラのカクテルで勢いが付いた人たち(mozoという)は柵の中へ入り、牛の前を走る。牛と並んで走ることは恥ずかしい最低の意気地なしだそうだ。しかしこの1世紀の間に15人が牛の角にやられて死んだ。いたるところにテレビカメラが置かれスペイン全土に実況中継されるので国民的な行事でもある。ここにはCarlosさんが近くの本屋で買ってくれた本からの写真を少し掲げてみる。

残念ながら我々は2ヶ月ほど早くPamplonaに着いてしまったが、Carlosさんは実に丁寧にそれぞれの現場でありありと説明してくれる。それにしても、こんなことが日本で計画されたら、多方面から反対運動が起こり、たちまちつぶされてしまうだろうに、血の気のはやる、いかにもスペインらしい伝統ではないか。それでもささやかな抵抗はここでもある。牛が人を追いかけたり、強殺されるのをみるのが嫌な向きは、前日に行われるRunning of the Nodes(ヌードの駆け抜け)の方へ行くという。トップレスの女性が束になってダンスをしながら同じ道を「駆け抜ける」という発想の転換もスペイン気質かも...

このPamplonaFiestaはスペインの全土にテレビで生中継される。インターネットのテレビでも生中継するというので、Carmenさんがメイルで知らせてくれた。現地7/6の朝800は日本では丁度七夕祭りの7/7の午後3時になる。アドレスは

http://www.sanfermintv.com/

実際に見てみた。牛が突進する中に入る人は全員白衣に赤い帯とスカーフを着ける。彼らは、ほとんど身動きが出来ないくらい多人数で道をふさぐので最初に牛が放たれたときはどうなるかとハラハラしたが、いざ牛の群れが近づくときれいに道が出来て、大抵の人はうまく避ける。しかし中にはまともに直撃を受けて倒れ、牛ばかりでなく人にも踏みつけられる情景も映し出される。中には持っている新聞紙で牛の目をふさぎ、方向を変えたり、牛の背中に乗りかかるようにしてうまく共同行動をとる人もいる。追い込まれた先の闘牛場も大変な混雑で、白衣の大群衆がグランドで10頭くらいの牛にあちこちで追い掛け回されていて、あちこちで牛が襲い掛かるたびにスタンドの大群衆がこぞって歓呼をあげる。危険ではあっても、あまり緊迫感はなく、みなで本当に楽しんでいる。牛は敵でもあり仲間でもある。イケニエは宗教的な儀式なのだろう。2010年の写真はCarmenさんが最近送ってくれたもの。今年も4人が牛の角に突かれて負傷、他の外傷を負った人も更に7人いたそうだ。

4/17() San Sebastian

快晴。それもスペインの他の地方は全部雨だというのに、ここだけは幸運にも快晴。9時半ころ皆で徒歩で出発。昨日の旧市街を通り抜けて、海岸へ。港の水が透き通って、中で大きな魚が泳ぎまわっているのが見える。漁船の船体も鮮やかな緑に赤の線が貫くような配色が見える。まもなく水族館に到着。Joanaちゃんも初の遠足として入館。実に工夫された水族館だ。スペインの国民性なのか魚の形や色の美しさをうまく強調して、水槽の1つ1つがまるで動く美術作品を見ているようだ。群れになって渦巻きを作る習性のある大量の魚が全体としてみるとカラフルな水車のように回る。細かいコマのように縞を持つ小魚を鮮やかさを増すような背景のもとで躍らせる。かと思えば、サメの卵がかえっていく途中の様子を半透明の卵膜を通して見せてくれる小さな水槽もある。これも生命の神秘を示すだけではなく、美的な部分が強調されるように仕組まれている。

水族館を出ると、ヨットハーバーが広がる。若い女性や中学生くらいの子供も1人や2人で、ドンドンと漕ぎ出していく。陸揚げしたヨットを一旦海へ出すと、船底の真ん中にある穴に錘のような板を下げてかなりの風でもヨットが転倒しないようにする。それでもその隙間から水が入ってきてあわてて救助船が連れ戻す風景も見える。

海から沿岸を眺める遊覧船に乗る。Daniel君が車椅子で乗り込むのを皆で助けながらやっと乗船を済ませる。船はかなりの高速で外海の大きな波を越えて突き進む。上甲板では船体が左右に大きく揺れるので、座席にしがみつきながら風に身をさらす。外洋から見ても、大きな貝の形をした海岸やその向こうに並ぶ茶色の古いビルが青空の下できれいに見える。40分の遊覧があっという間に終わる。

昼食は旧市街のカフェテリアへ。通りに面したシー・フード・バーは椅子もない空間に押せ押せの人たちが海産物をつまみながらワインを開ける。紙ナプキンや串焼きのくしなどは、椅子のない下の土間に投げ捨てるのが習慣だから、あたりはゴミだらけ。しかし奥の大きなテーブルのあるレストランは静かな別世界だ。Carlosさんがかつて来たことのあるというこの店は有名人や俳優が世界中から訪れるらしく、その人たちの写真が壁1面に貼り付けられていて、店の誇りでもあるようだ。

漁港でもあるSan Sebastianでは海産物が豊富でこの店もSea Foodで成り立っている。海老やタコ、天然の牡蠣、それに藤壺などの珍味がそろっている。モンコウイカも肉厚で柔らかい。それに一味風味を付けるのがRiojaワイン。そのあとに甘味のデザートがタップリ出る。試しにアップルパイを注文してみたら、リーフのほとんどない肉厚のリンゴが出てきた。カフェテリアと言っても高級な店で、珍味の料理を出すのでかなりの値段になることは分かっていたが、いくら、こちらに払わせてほしいといっても、ダメでおごってもらうハメになった。

今日も最後は夜12時。特に土曜日は、10時ころから彼らは飲みだし、騒いで、話して明け方を迎えるのが若者の生活パタンだという。だから日曜は教会へ行くどころではない。しかし夕食は自宅で済ませ、店での注文は出来るだけ少なくし、経済的には負担にならない工夫しているらしい。
本当にCarmenさん、Carlosさん、Daniel君、Lauraさん、Joanaちゃんのすばらしい家族の一員に入れていただいた忘れがたき1週間になった。明日はお別れだが、この経験は彼らからの一生のプレセントになりそうだ。

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