このワイナリーは私的な企業だがワイン博物館も備える一方で、大規模なワイン貯蔵庫も兼ね備えていて、1890年に醸造したものも、天井にまで達する大樽で大量に保存している。近くには木の樽の工場もあり、Carlosさんも240キロリットルの木樽で買って、自宅に保存し、家族はもちろん友人たちを招くパーティーでもそこから取り出すのだそうだ。 博物館には ![]() これだけでもかなりお腹ができるのだが、Carlosさんは更に奥に別室を予約し、本格的な昼食のコースを予約していてくれた。ここでも種々のワインを並べ皆で味を比べる。私には正直なところあまりはっきりとした違いは分からなかったが、香りの違いや濃さ、まろやかさなど、多少の差は分かるような気がした。それにしても主料理のあとで、デザートとして大きなお菓子をほお張り、コーヒーやアイスクリームをたいらげ、更にブランデーまで飲みながらゆっくりと時間を過ごす国と、時間との競争で急いでかけ込むように口に入れる国とではかなり違う。 4/15(木) Logrono 今度は山を下ってYusoの修道院へ。ここは文字としてのスペイン語が初めて書かれたものが保存されているので有名とか。15世紀当時、聖書はラテン語で書かれたものしかなく、一般人はスペイン語で書かれたものを必要としていた状況から出現したそうだ。畳半畳くらいもあるしっかりした装丁の本が分厚い扉の 例によって2時過ぎになって、そこから30分も離れたSanVicente de la Sonsierraという古い村にあるレストランへ。赤と白の壁に囲まれたデザインの変わったCasa Toniという店。 ![]() 外に出てSan Vicenteの村の高台の下に広がる風景を眺める。両岸に繁茂する林の帯に守られたリブロ河が大きく蛇行する向こうにきちんと長方形に区切られたブドウ畑が広がる。まだ短い幹だけのブドウが並ぶ畑は茶色の縞模様で緑の空き地がところどころにアクセントを付ける。すぐ下には中世のレンガ造りの重厚な橋(Puente de San Vicente)が細い道路を支え、太い橋桁に流木をためている。しかしそのすぐ傍には流れるような曲線を描いて走る高速道路を支える鉄の橋けたは道路の下に隠れてよく見えない。 今度はそこから東北へ5キロくらいのところにある古い小さな修道院Santa Maria de
la Piscinaに行く。12世紀初頭旧スペインの一部、アラゴン Logronoへ戻る途中のElciegoという小さな町のはずれに「リスカル侯爵」(Marques de Riscal)という名の妙な形の建物、ワイナリー兼ホテルがある。これはアメリカ人の世界的な名声を持つ建築家Frank O. Gehryが設計した風変わりな建造物だ。ちょっと見ると大地震と嵐で屋根がヨレヨレ、バラバラになり落下寸前でやっと引っかかっている感じの建物。しかし良く見ると大きく波打った屋根は色彩もピンク、金色、白、銀色と良く調和するように考えられていて、ヒサシの下突き出すように別の屋根が来て雨を防ぐように配置されている。しかも内部できちんと支えの柱が手を広げたように固定されているし、崩れ落ちそうな屋根の間からはきちんと設置された斜めの窓やドアが見える。このホテル兼ワイナリーは人気で予約が殺到しすぎてこなしきれないようだし、最低でも1泊35,000円だそうだ。 最後に、CarmenさんとOto君の共通の趣味は陶芸ということで、Carmenさんが懇意にしている陶芸工房を見学しようということになった。Logrono南西10キロくらいのところにあるNavarreteという村のはずれにあるFajardo Lozanoという陶芸家(alfareria)の工房だ。5時を回っていたかと思うけど、Carmenさんの顔もきいて、快く見学させてくれた。電動のロクロを回しながら、回転台の上に置かれた粘土の塊が、見る間にツルツ |
![]() 4/16(金) Logrono--San Sebastian 今日から2日間、我々の予定を家族旅行として全員で同行案内してくださることになった。私がLogronoのあとに計画した 海岸に近づくせいか、あたりは緑が多くなった感じがする。途中でHemingwayの「日はまた昇る」("Fiesta"別名"The Sun Also Rises") で有名なPamplonaという町を通った。ここはHemingwayがほれ込み、上の小説で生き生きと描き出している「牛追い」(Running of the Bulls)で有名なところ。「牛追い」と言っても実は町の通りで「牛に追いかけられる」行事だ。毎年7/6−14の1週間この町はこのお祭りのために100万もの人でごった返すという。ホテルも少ないので、多くの人は町や周辺の公園に転がって一夜をあかす。町も 残念ながら我々は2ヶ月ほど早くPamplonaに着いてしまったが、Carlosさんは実に丁寧にそれぞれの現場でありありと説明してくれる。それにしても、こんなことが日本で計画されたら、多方面から反対運動が起こり、たちまちつぶされてしまうだろうに、血の気のはやる、いかにもスペインらしい伝統ではないか。それでもささやかな抵抗はここでもある。牛が人を追いかけたり、強殺されるのをみるのが嫌な向きは、前日に行われるRunning of the Nodes(ヌードの駆け抜け)の方へ行くという。トップレスの女性が束になってダンスをしながら同じ道を「駆け抜ける」という発想の転換もスペイン気質かも...。 このPamplonaのFiestaはスペインの全土にテレビで生中継される。インターネットのテレビでも生中継するというので、Carmenさんがメイルで知らせてくれた。現地7/6の朝8:00は日本では丁度七夕祭りの7/7の午後3時になる。アドレスは 実際に見てみた。牛が突進する中に入る人は全員白衣に赤い帯とスカーフを着ける。彼らは、ほとんど身動きが出来ないくらい多人数で道をふさぐので最初に牛が放たれたときはどうなるかとハラハラしたが、いざ牛の群れが近づくときれいに道が出来て、大抵の人はうまく避ける。しかし中にはまと 4/17(土) San Sebastian 快晴。それもスペインの他の地方は全部雨だというのに、ここだけは幸運にも快晴。9時半ころ皆で徒歩で出発。昨日の旧市街を通り抜けて、海岸へ。港の水が透き通って、中で大きな魚が泳ぎまわっているのが見える。漁船の ![]() 水族館を出ると、ヨットハーバーが広がる。若い女性や中学生くらいの子供も1人や2人で、ドンドンと漕ぎ出していく。陸揚げしたヨットを一旦海へ出すと、船底の真ん中にある穴に錘のような板を下げてかなりの風でもヨットが転倒しないようにする。それでもその隙間から水が入ってきてあわてて救助船が連れ戻す風景も見える。 海から沿岸を眺める遊覧船に乗る。Daniel君が車椅子で乗り込むのを皆で助けながらやっと乗船を済ませる。船はかなりの高速で外海の大きな波を越えて突き進む。上甲板では船体が左右に大きく揺れるので、座席にしがみつきながら風に身をさらす。外洋から見ても、大きな貝の形をした海岸やその向こうに並ぶ茶色の古いビルが青空の下できれいに見える。40分の遊覧があっという間に終わる。 ![]() 昼食は旧市街のカフェテリアへ。通りに面したシー・フード・バーは椅子もない空間に押せ押せの人たちが海産物をつまみながらワインを開ける。紙ナプキンや串焼きのくしなどは、椅子のない下の土間に投げ捨てるのが習慣だから、あたりはゴミだらけ。しかし奥の大きなテーブルのあるレストランは静かな別世界だ。Carlosさんがかつて来たことのあるというこの店は有名人や俳優が世界中から訪れるらしく、その人たちの写真が壁1面に貼り付けられていて、店の誇りでもあるようだ。 漁港でもあるSan Sebastianでは海産物が豊富でこの店もSea Foodで成り立っている。海老やタコ、天然の牡蠣、それに藤壺などの珍味がそろっている。モンコウイカも肉厚で柔らかい。それに一味風味を付けるのがRiojaワイン。そのあとに甘味のデザートがタップリ出る。試しにアップルパイを注文してみたら、リーフのほとんどない肉厚のリンゴが出てきた。カフェテリアと言って
今日も最後は夜12時。特に土曜日は、10時ころから彼らは飲みだし、騒いで、話して明け方を迎えるのが若者の生活パタンだという。だから日曜は教会へ行くどころではない。しかし夕食は自宅で済ませ、店での注文は出来るだけ少なくし、経済的には負担にならない工夫しているらしい。 ![]() |