4/18(日) San Sebastian→Montpellier 10日にも渡ったスペイン滞在も今日で終わり、6日間もお世話になったCarmen, Carlosさん一家ともお別れだ。朝食を皆で取った後、ホテルでお別れをして、駅までCarlosさんとDaiel君が送ってきてくれる ![]() 電車は終点のHendaye駅に着く。一歩出るとすべてがフランス語に変わっていた。あいさつもBuenos Diasだったのが、急にBonjourに。隣接しているフランス国鉄(SNCF)の駅(Gare)に行くと、何となくあたりの様子が変なのに気がついた。切符売り場のガラス張りのコーナーはカギが掛けられ、暗くなっていて誰もいない。ホームにも、改札口付近にも駅員らしい人もいない。待合室には10人くらいのバックパッカーがたむろしている。その中に1人だけ私服でコソコソと何か説明している人が目に付いた。どうも駅関係者のようなので、しばらく順番を待って聞いてみる。予約しておいた南仏モンペリエ行きの切符を見ながら、「今日は午前中ストで、この切符の列車も運行中止だ。モンペリエに行くのなら、パリ行きに乗って、ボルドーで乗り換えなさい。しかし今日中に着けるかどうかは分からない。しかもこれは換金できない切符なので...」と言うだけ。アイスランドで大噴火があり、昨日はほとんどの飛行機が飛ばなかったと聞いていたので、最初はその影響かと思っていたが、全くの見当違い。しかも今はまだ10時前なのにパリ行きは13:57分と17:18の2本だけ。駅前のAvisレンタカーの事務所へ行ってみても、ストのせいか 出発の1時間位前にはパリ行きの長い列車が到着。でも出発15分前までは乗車させてくれない。しかもこの列車すべて指定席。「振り替え乗車」(?)した我々のような客は空いている席にとりあえず座る。そしてその席の指定券を持った人が来ると、また別の空いている席へ移動。まるで渡り鳥。でも1日に2本しかない列車ではとてもさばききれず、2等車では次第に座れない人が出てくる。車内の通路やつなぎ目などには座り込んでいる人でトイレに行くのも大変。我々はたまたま1等車だったが、座った席を2度追い出されて、2度目は離れたところにやっと1つ席を見つけて座り込んだ。いつもは空い 列車がボルドーに到着すると、すぐにホームへ飛び出した。コンコースで4分後に出るマルセイユ行きの列車表示を見つけて、駅員にモンペリエを通ることを確かめた後、急いで乗車。運が良かった。パリ行きとは反対の下り列車だったので、先ほどの列車ほどの混雑はない。これで夜の9時過ぎだが今日中にモンペリエに着ける。ホッと胸をなでおろす。ヨーロッパの列車はあてにならないと外人によく聞かされていたが、ストも経験しないとピンと来ない。 横の席にいたマルセイユ大学に通うフランス人の学生が話しかけてきた。英語はあまり得意でないようだが、何とか通じる。 4/19(月) Montpellier→Bedoin 今日はAvisのレンタカーを借りる予定。気まぐれな列車のストに振り回されずに済むと考えるとホッとする。実際、モンペリエの駅の電光掲示には「ストでTGVなどのダイヤが大幅に乱れています」と出ているし、列車の出発掲示 まずアビニオン郊外の、水道橋(Pont du Gard)へ。2000年以上前に造られたローマ時代の水道橋がほとんどそのままの姿でGardon河にかかる。あたりはほとんど民家もない広々とした岩と緑と青い空の中にそびえる威容。JJルソーがこの橋を見て、「自分はどうしてローマ人に生まれなかったのか」と嘆いたほど感動したと伝えられているが、近くに立っているだけで、何か不思議な高揚感がある。ローマ人が築いた建築物の中で一番高いのがローマのコロシアムだそうだが、それより2m低いだけだという。やや楔形になった分厚い石を組み合わせてうまくアーチを作っていき、それを3重に積み重ねて地上約50mのところに300m近い水路を造った。それがそのまま嵐や洪水に2000年以上も耐えているのだから、驚くべき世界遺産だ。近づいて見るとアーチを作る大きな石の角は風化して欠け落ちていると 幸か不幸か我々はtoo old to jumpなので、対岸のお城のようなレストランで昼食にする。野外の河の傍の絶壁のふちにテーブルと椅子を置いて大きなパラソルで日陰を作ってある。しかし崖の傍の良い景色を望めるテーブルの1つにはパラソルがなく、欧州人は太陽光線に弱いので、お客がいなかっ 今度はアビニオンの南10kmくらいのところにあるレ・ボー(Les Baux)へ向う。アールピー(Allpilles)山脈のある岩山全体に城壁を築いてその中に造った中世の村だ。岩山の下の道に駐車して駐車券の買える機械を探していたら、後ろで車を発進させようとしていた女性の声。自分の使った駐車券にまだ十分時間が残っているので使ってくれと言う。親切に甘えて使わせてもらう。 そそり立つ岩山の岸壁がそのまま家の壁になっていて小さな窓らしい穴が切り込まれている。さらにオーバーハングした岩の上にも時計台のある石壁の建物。外から上っていくと鉄でがっちり補強された小さなくぐり戸に出る。ここが唯一の村への出入り口のようだ。マウンテンバイクもこれ以上は無理のようで、そばに立てかけてある。薄茶色の石壁からはクラシックな街灯が突き出す。場内は小さな町になっていて、迷路のような石畳の坂道が縦横に走り、小さなカラフルな店が並ぶ。一番上には教会もあり、プロヴァンス地方の美しい風景が眼下に広がる。この天然の要塞を利用した町を支配したボー(Baux)の領主は11世紀にはこの辺り一帯を支配し、バルセロナと張り合うほどの力を持っ 再びそのままアルビオンの町の混雑をやっとの思いで抜けると、ブードワン(Bedoin)の町へ。ここはベルギーの友人Debastさんがかつて自分の休暇で家族と1ヶ月過ごした場所だ。我々は、彼の薦めもあり、更に4kmほどMt. Ventouxの方向に行ったSainte Colombeという村のLa Garance(アカネ)という小さな民宿をネットで予約していた。車で着くと、玄関で、かつては山奥の山小屋を経営していたというFelix、Natalie夫婦が日本からの我々を入口で待っていて出迎えてくれた。物静かで上品な感じの老夫婦で、早 |
![]() 4/20(火) Bedoin 宿の主人Felixさんが付近の細かい地図を用意してくれて、ハイキングコースを詳しく説明してくれる。はるか向うに白い雪を頂くベントー山はまだ雪が深くて頂上は無理だろうという。でも車で行 何とか頂上に到着。1910mと書かれたベントー山頂の看板の前で、雪の上に立って記念撮影。雪の稜線の向うには雪のない青い低地の小さな山々がうねっている。更にその向うにはプロバンスの平野が広がる。 再び同じ道を引き返す。下に行くにつれて雪の中から針葉樹が三角形の頭を出す。と、まもなく見慣れた緑の平野が現れる。タンポポのような花が緑の中に星のように点在する。サクランボの真っ白な花を付けた木々が通り過ぎる。低い幹だけが並ぶブドウ園。オレンジ色の壁と屋根の家が緑の中に納まってきれい。 やがて小さなブードワン村に到着。青い空の下、黒味がかったベージュ色のまだらな瓦屋根の上には傘のついた四角い煙突が突き出す。 午後からは宿の主人、ご推薦のハイキング・コースを歩く。静かに太陽だけが照りつける昼下がり、廃墟のような教会の脇の農道を進む。道端に小さな道祖神がある。1m位の白い石造りの三角屋根のミニミニ教会の上には小さな十字架。中にはかわいい(?)マリア像が格子の間から見える。例によってT字やY字形の幹だけのブドウが傾斜した土地にずっと向うまで真っ直ぐな列を作って一面に広がる。木と木の間はワイヤーで結ばれていて、枝がそれに沿って横向きに成長するようになっている。ここではサクランボやブドウなどの果樹園は人の身長の高さ以上にはならないようにコントロールして、日当たりや収穫、剪定などの管理をしやすくする工夫が徹底している。しかも果樹園全体は緑の草で覆われているところも多く、そこでは一面に例の黄色いタンポポが点在して、牧歌的な雰囲気をかもし出す。果樹園の淵には石と泥で作ったような丸い小さな室や小屋がある。中は井戸になっていて、果樹園の水源だった。 ![]() 青空に白い雲。鳥の声の中を歩く。コースは途中大きな道を横切って山に入る。大きな廃墟を抜ける。赤土の土壌は穀物栽培には無理でも、ブドウには適しているようで、他方レンガ造りの家の材料にもなっている。食と住で人の生活を間近で支えているようだ。この低い山の稜線からは美しい平野が望めるからか、山の中にも家がある。そういう場所ではさすがに犬を飼っていて、そばを通るだけで吠え掛かる。巨大な松かさが落ちている。鱗片がまるで厚い舌のようで、ソフトボールくらいはある。 ![]() 山から出ると、また強い日差し。少し疲れたので、道端の青い草に寝転ぶ。草の匂い。すぐ目の前に黄色のタンポポ(?)が群生している。と、まもなく突然大きな犬の足が目の前の草の上を横切った。縄を付けずに近所の人が犬を散歩させていたらしい。また車が1台かなりのスピードで通過する音。歩いていると平和で静かだが、定点で寝てみると生活が感じられる。 近くの家で瓦の取替えの工事が進行中。そばを通ると、職人が屋根の上から手を上げて、笑顔を見せる。このあたりでは日本人も珍しいらしい。遠くに今朝登ったベントー山の白い頂きを見ながら、ホテルに戻る。 4/21(水) Bedoin→Nice ブードワン(Bedoin)の北10kくらいのところにヴェゾン・ラ・ロメーヌ(Vaison la アルビオンを抜けてニースへ向う。途中好奇心から、かつてOtoが10年前に街で強奪にあったという南フランスのAix-en Provenceという町へ寄って昼食。繁華街で9ユーロのピザを注文して二人で半分にして食べようとしたが、大きくてとても食べられない。結局1/4で十分だった。彼らのお腹はどうなっているのだろう? それにしても特に危険を感じる街でもなかったが...。
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