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P(30才)はリスボンに本拠を置く投資銀行のワルシャワ支店のアナリスト。仕事の半分は英語を使ってのもの。4年前に結婚した奥さんのA29)は広告会社のMedia Managerとのこと。Pの友人M30)はやはり投資会社勤めで、この旅に一緒に来たD30)と10/19に結婚することになっている。皆元気のいい若者で英語もうまいので助かる。

一昨日の夕方着いて、昨日はJRパスを発行してもらったり、相撲の千秋楽の入場券を予約していたが、東京駅から国技館へ行くのに迷って1時間以上もかかったと言う。

予定通り、まずは築地へということで、今日から有効のJRパスで日暮里から上野へ行き、メトロ日比谷線で築地へ。本願寺を見て魚市場へ向かう。市場入口から入り、高い屋根の下の細い通路に並ぶ店で、黒い石のように硬く干されたカツオを説明したら、削り節の味見をしてMが買いたいと言う。カンナがないと削り節は作れないよと言っても、友達に見せて自慢するのだとか...。一切れが1850円もする。場内では大きなマグロが解体されて陳列されているので、カマ、トロ、赤身など説明しやすい。ただ血合いと赤身がどう違うのかと聞かれて一瞬考えた。

外へ出たらMが「ダシ巻き卵」を売っているのを発見。「意外に甘い」と言いながらみなで試食。更に本場の寿司も少しだけ試食したいという。場内の店は混んでいるので、場外に出て、一皿1,500円のニギリをやっている店を見つけ、入ってみる。2皿を取り、5人で味を見る。異口同音に今までで一番美味い寿司だという。あっという間になくなった。

浜離宮へ歩く。雑踏のあとの静けさとツツジ、それにアジサイ、ショウブで良い雰囲気。それらを背景に男性たちはそれぞれの女性の写真を撮るが、女性は撮られた写真を見てなかなか合格点を与えず、男性たちは苦戦。「女性を撮るのは大変だ」とそっとこぼす。松の茶屋でTea Ceremonyを説明。500円の方のお菓子は崩れやすく扱いづらい。茶碗の正面を汚さない配慮で茶碗を回して口をつけることを言うと男性群から歓声があがる。また音を立ててすすることも試すが結構苦労して音を出していて、大笑い。

そのまま銀座へ抜ける。松坂屋の前を通ったのでデパ地下を見てもらう。若者たちなので、食の好奇心も旺盛。エビ天や野菜の天ぷらに紙ナプキンで包みながらかぶりつく。更にべつのところでは串に刺した丸コンニャクをPが見つけて説明を求める。100円で5つが付いた串を奥さんと分け合って頬張る。

歌舞伎座を紹介したあと、上野へ向かう。JRパスを使うために有楽町から山手線。上野駅のそとは暑い。Miがどこかでビールが飲みたいと言う。アメ横にも屋外に椅子が置かれてビールを飲ますところがあった記憶を辿っていくと、やはりあった。早速4人が一致してジョッキを注文。私が遠慮していると皆で"Oh, Takeo, come on. Come on."と来た。昼間からどうかと思ったが、勢いに押されてみなで乾杯。彼らには馴染みがない様子の「枝豆」も注文して説明。意外と評判が良い。と、通りをみると大きな相撲力士がゆかた姿で歩いている。昨日千秋楽をみなで見に行っていたので、「一緒に写真が撮れないか?」とMaciji。本人に頼むとOKが出た。高見盛のいた東関部屋の幕下「王錦(かおうにしき)」という力士だった。

今日は月曜日でほとんどの博物館・美術館・動物園などは閉館だが、一応場所だけは確認。「大仏の顔」も拝む。戦時中に鉄砲の弾になった話のついでに戦争の話になり、ポーランドもハプスブルグ、ヒットラーやロシアと次々に国を占領され、隣国の領土として3分割され、国がなくなった歴史も語ってくれる。

またJRパスで今度は原宿へ。明治神宮の参道を歩きながら、神道と仏教の違いなど聞かれる。仏教が元来個人の心の問題から出発したのに対して、もともと自然信仰、太陽信仰だった神道が「偉人」を祀るようになり、国家神道として「愛国心」を推進するために利用されて戦争につながった経緯を言うと、ポーランドでも度重なる外国の占領による悪政が、制度や政府への強い不信を引き起こしていて、国民は誰も政府を信用しないという。しかしカトリックの国でまだ信仰心の強い人は日曜礼拝を欠かさないとのこと。そういえば、数年前、個人的にアウシュビッツへ行ったとき、途中の道端に、よく日本の地蔵のように、マリア像が立っていたことを思い出し、言ってみるが、それは普通の情景だという。

本殿では結婚式は見当たらなかったが、絵馬の中にポーランド語で書かれたものを見つけて、懸命に写真を撮る。吉凶カレンダーで日取りを決める人が多い結婚式の話題から、結婚式に300万くらいはかかるというと、ポーランドでは約半値くらいだが、披露宴は大抵みなで飲み明かし、次の日も親戚関係の別の会が続き大変な大騒ぎだそうだ。

いつものように竹下通りからデザイン・フェスタに向かう。やや歩き疲れたので、そこで一服。Miはマチェクとも通じる名前だというので、ポーランドのアンジェイ・ワイダ監督の「灰とダイヤモンド」の話になる。古い映画だが彼らも良く知っていて誇りに思っているようす。

最後に新宿の展望台から鳥瞰しようと、都庁へ。1台のエレベータの南展望台だけしか開いていないが、待たずに上がれる。今日行ったところで見当がつくところを上から確認する。富士はみえない。映画Lost in Translationは彼らも良く知っているようすで、その舞台のPark Hyattには興味を示す。新宿への帰り道、「奥さんに帰りの時間を言ってきたか?」と聞くので、「言っていない」というと、ではまたビールをみなで飲みたいから付き合ってくれという。気の良い人たちなので、近くの居酒屋に入る。また全員でビールや梅酒のロックなども取り、豚肉がダメだというので、から揚げや焼き鳥でお別れ会をする。鳥の軟骨の話が出て、全員食べたことがないというので、試してみる。みな「うまい」と追加注文。特に女性軍に人気があった。「ねこカフェ」の話も出て、好奇心の的だったが、1週間後に東京へ戻った時に、自分たちでお台場に行くというので、海浜公園近くの「アクアシティ」1階の猫カフェ「ペットプラス」を勧めた。ガラス張りになって外からでもタダで様子が手に取るように分かるので...

彼らは本当のビール好きで、1人ジョッキ3杯も空けたが、少し酔っ払いかげんながら、元気に新宿駅に歩いた。外の風は気持ちよく、辺りはすっかり夜の街になっていた。そのまま山手線に一緒に乗り、日暮里への戻り方を確認して別れた。

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今回も2年前にガイドしたオーストラリア人の依頼。25年来の職場の同期入社の友人が来日するというので、ガイドをしてほしいという。夫のVも奥さんのI50代のオーストラリア人だがベトナム生まれ。Vはサイゴン近くの高台に住んでいたが、ベトナム戦争の末期、18才のとき北から押し寄せたベトコンに追い出され、アメリカに加担したというので殺されかけて逃げた。乗ったのは小さな難民船で命からがら海に逃れることができた。しかしタイやフィージーに行っても受け入れてもらえず、やっと受け入れてくれたのがオーストラリアだったという。船で移動中に半分の難民仲間は死んで行き、彼は若いエネルギーで何とか生き延びた。オーストラリアでは政府が支援してくれてメルボルンに住むように割り当てられ、政府が出してくれた教育資金で大学まで行かせてもらって、コンピュータ・サイエンスを専攻。卒業後プログラマーとして働いたあとで、今は銀行のソフトウェア部門で働いている。オーストラリア政府は彼らを受け入れた2年後には市民権も与えてくれたといって彼は感謝している。奥さんのIもサイゴン生まれで15才のとき同じように難民になり同じような経験のあとでやはりメルボルンに住むようになって、市民権も得て、彼と大学で知り合って結婚し、今は15才の娘がいるが、今回は同行しなかった。彼女は大学では財政学専攻、やはりメルボルンの銀行に勤めている。しかし彼の銀行と彼女の銀行は敵対関係にあるという。お互いにスパイになれるなというと笑っていた。

9:30に予定通り京王プラザのロビーに現れる。今回の旅は元々団体旅行で来ていて、韓国を見て福岡で入国、京都、富士箱根、東京と来て、すでに昨日までに主な東京の有名観光地もバスで巡って団体旅行はそこで解散。今日から個人行動で広島を回って福岡に戻り、帰国の途につくという。従って今日の予定はバスで行かなかった渋谷、明治神宮、表参道ということになっていた。ただ渋谷では特にスクランブル交差点、スペイン坂、Love Hotel Hillを所望していた。

ホテルを出てみると青空の快晴なので、まず隣の都庁展望台へ寄ってみようと提案。いつもと違って南展望台には長い列。北展望台は月2回の運休日で、南展望台も1台のエレベーターは修理・点検中で動いているのは1台だけ。雑談しながら10分くらい待たされる。それでも待った甲斐があったと2人は大喜び。昨日の大風で澄み渡った青空の向こうに真っ白な富士の頂がきれいに浮かんでいる。違う方向を見ている隣のロシア人夫婦にも教えるとThank youとカメラを向ける。こちらの2人も数日前にバスツアーで富士4合目まで行ったのに雲がかかっていてまったく見えず、見えたのは大きな樹木だけだったと言いながら、興奮気味で何枚も写真を撮る。私も頼まれて彼のカメラでも2人を撮るが、人物に焦点を合わせず、富士に焦点を合わせて浮き出させてくれという。ボタンを半押ししながら苦戦。

彼は空手の黒帯も持っている。もう6年もやっている名手だが、来日数日前に練習中大きくジャンプして着地したとき、畳が新しくて硬く、足をねじって捻挫した。休養し松葉杖がやっと離れたと同時にこの旅に出て、まだ早くは歩けない。歩くときは常に奥さんがそばに付き添う。しかしそのまま歩いて新宿へ向かい山手線で渋谷へ。

まず「ハチ公」の話をしつつ交差点の撮影。脇の信号が変わって人の波が動き出すのを待ってそれを背景に自分たちの写真を撮る。彼は結構細かい神経を使うので撮り直しが多い。続いてスペイン坂へ。名前の由来を説明しながら歩くが、すぐに先の階段のところに行き着き、やや拍子抜けの様子。イタリアにも「スペイン坂」があるというが、坂の先には美しい湖が現れて感動的だったという。今度はLove Hotel Hillへいくように催促。私もよくその場所が分からず、昨夜グーグルで調べてストリート・ヴューで点検しておいた。東急文化村の先、道玄坂の上あたりで左に入ると一帯にそれらしいホテルが続く。ケバケバしい色の派手なデザインのネオンや看板が汚い壁に掛かり異様な雰囲気。入り口には値段を示す看板があり、その前で無邪気にスマイルするIVが注文をつけながらシャッターを切る。朝のせいか人通りはほとんどないが、ガイドしていてもちょっと恥ずかしい感じ。こんな施設はオーストラリアにはないという。「こんなものがあるから若者は結婚しないのかも」などというと、うなずきながらも「でも子供は持てないのをどうするの?」とI. 「でもバスツアーでは来れないところだね」とVが言う。そのまま近くのカプセルホテルなども見ながら渋谷駅へ戻る。

次は明治神宮へ。Vの膝も慣れてきたようで、砂利道でもなんとか普通に歩く。渋谷の雑踏と混乱のあとの静かな空気を彼らは喜ぶ。快晴の天気で、結婚式の行列も続く。国際結婚の行列にも会う。行列の半分は紋付の着物を着た外人。そのまま二人とも本殿で賽銭を投げてお参り。22拍手1礼を教える。

竹下通りはまあまあの混雑。「東京はどこへ行ってもまあよくこれだけの店があるね」と驚く。4000万に近い首都圏人口が背後に控えていることを言うと納得。しかし買い物を楽しむというより奇抜なデザインの店頭で写真を撮るのに熱心。実物より大きな顔の広告にIが自分の顔を並べて彼が撮ったり、彼女が高級車に寄りかかり自分の所有物を自慢するような感じの写真を彼が撮る。それでもオリエンタル・バザールで娘のみやげに畳地の草履を買って、次は浅草へ行きたいという。

バスツアーでも行ったが、時間がなかったとのこと。特に見落としていた「撫ぜ仏」や本堂横の野外にある「阿弥陀如来像」なども話題にすると是非見たいという。そこで表参道から地下鉄で浅草へ。車中は例によってWiFiタイム。ホテルでもWiFiは有料で15100円もするというので、私のiPhoneをルーターにして彼らのスマホでメイルのチェックやネットの検索を懸命に行う。あっという間に時間が過ぎて浅草に到着。200年の伝統のある「梅林堂」、江戸小物玩具の「助六」などにも興味を示す。緑茶を飲んで一服し、裏に回って六区通りから雷門通りに抜けて、両替が必要というので「浅草文化観光センター」へ。不思議なことに公式為替レートが同じ1ドル98円でも、米ドルは94円で買ってくれるのに、オーストラリア・ドルは91円でしか交換してくれない。彼らは銀行員だけあって、それをちゃんと知っていて、オーストラリアから来たのに米ドルを携帯し使っている。ついでに8階に上り、スカイツリーの写真を撮る。彼が手を握って腕を前に突出し、スカイツリーを握っているような恰好で微調整しながらイタズラ写真も撮るが、なかなか難しい。

最後に新宿駅へ戻る。翌日大きな荷物をもって東京駅へ行き、新幹線で広島へ向かうというので、ホテルから新宿駅南口でエレベーターを利用する行き方を教えて別れる。


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