●ここをクリックすると1頁目に戻ります。

アメリカはネバダ州Renoからで、父Perry(41)と息子Justin(24)の2人だけの来日。母はカジノの中でレストランの1つを全て取り仕切っている仕事なので、自由に休暇がとれず、同行できなかったという。Perryはネバダ州のウォッショー郡(Washoe County)庁舎に勤める公務員で、庁舎のコンピュータ・システムの統括責任者。JustinはPerryが養子として家族にした子でデパートで配送や商品の管理をしている。彼はちょっと緊張するとドモるので、初めはことばが出にくかったが、だんだん慣れてきた。養父のPerryはちょっとかわった苗字だったので聞くと、祖先はイギリス、ウェールズの出身だそうだ。
「東京人の住まい、日常生活を体験したい」と希望し、食材の買い物の様子なども知りたいようだったので、拙宅へ来てもらい、買い物をしたり、周辺を案内しようかと提案したら喜んでくれ、彼らだけで私の最寄の駅まで来て、そこで落ち合うことになった。彼らはたまたま新宿のホテルに滞在していて、拙宅は西武新宿から20分程度で1本で来られるし、若い2人には何の問題もないようだった。
午前10時に田無駅の改札で会うことにして、西武新宿発9:36発の電車に乗るように指示していたら、きちんと10時ちょっと前にちゃんとウチワを持って現れた。とりあえず、すぐ近くの拙宅で少し涼をとり、畳の利点を説明しながら我が古屋の中を案内。Perryはちゃんとメモを取りながら聞いていた。風呂のダブも横長の型だが、「少し深みがあるのはどうしてか」などと細かい。仏壇の位牌の名前が戒名であるのも不思議そう。
とりあえず、近くのデパ地下兼スーパーへ出かける。野菜、果物の値段が高いことにまず驚く。Wallmart系のスーパーLivinではアメリカのものがそのまま随分入っているので、値段を比べるが、日本のものは量が少ないのに値段は高めのよう。アメリカでは売られていない日本向けのアメリカ産炭酸飲料なども見つける。豚肉などの棚ではアメリカ産のものが日本産の半分の値段で売られていて、「なぜ日本人は倍の値段を払って国産を買うのか?」と聞く。霜降りの牛肉が赤身の牛肉より高いのもアメリカと逆だという。チキンなども大き目のパックが、アメリカでは1羽丸ごと買える値段だね...とのこと。上は5階までデパートになっているが、衣類では女性のものばかりで、男性のものは片隅に寄せられている感じはアメリカも同じだとか...。家電のところではリング状の羽根のない扇風機に注目。アメリカでも人気だそうだ。
カンカン輝りの中、10分ほど歩いて東大農場へ到着。砂漠の中に緑と言えばセイジだけしか育たないというネバダの彼らにはきれいに見えるらしい。たまたま咲いている大賀ハスを説明したり、ダチョウがいた農園、ポプラ並木を見て、演習林という森へ。アメリカ産のセコイアや多種のモミジ、オオタカの来る松、ナンジャモンジャの木、ハンカチの木などを案内。小道を歩きながら、「落ち葉のクッションを踏む感じが良いね」と彼らは驚く。園内の「農場博物館」では常駐のボランティアのガイドが説明してくれる内容を通訳。エンジンつきのアメリカ製手押し鋤や脱穀機を日本に移入しようとしたら、想定された身長が日本人と合わず、操作が大変だった話。戦時中東南アジアに進出した日本が、日本の農業を現地に再現しようとして機具の開発に苦労した話などなど。やはりメモを取り出して聞いていた。
昼食にはラーメンが食べたいと言うので、拙宅近くの小さなラーメン屋に入った。チキンが入ったラーメンが食べたいと言ったが、それはなく、豚や牛は嫌だというので、野菜ラーメンになり、私もご馳走になった。
一旦拙宅にもどり、Perryが建物にも興味があるというので、今度は車で近くの「江戸東京たてもの園」に行くことに。拙宅から車で7分程度の都立小金井公園の中にある。コンパクト・カーのマーチに大男2人を乗せて出かける。Perryはホンダとトヨタを持っていて日本車には詳しく、私が知らない車種も見るとすぐに分かり、説明してくれる。
時間の関係もあり、博物館の部分は割愛して、裏庭に出て、まずは三井財閥総領家の三井八郎右衛門邸へ。障子や欄間のある和室の客間にもカーペットや椅子、テーブルの和洋折衷で、夫婦のベッドルームも別々になっているのを不思議がる。一方「仏間の床だけが少し高くなっているのは先祖に敬意を表したものか」などとPerryはよく気が付く。付属した3階建ての土蔵に入ると「地下室の匂いがする」という。
ワラ葺きの古い農家が3軒点在する。囲炉裏からの煙で、天井の煙抜き穴周辺がススで黒く守られているのに感心。かなり古く崩れかけたワラ屋根を見ながら、葺き替えは大変な作業で共同作業が必要になり、いやでも村の共同体意識が作られるので、村八分は厳しいことだったことを理解してもらう。
2・26事件で高橋是清が中で実際に殺された邸宅が移築復元されている。彼は騙されてアメリカで奴隷として生活し、生き延びて日本の首相にもなった人物なので説明し、興味を示すかと思ったが、また靴を脱ぐのがやっかいなのか、外見だけでいいという。写真だけとり、我々には懐かしい「都電」に乗り込み、都電が廃止された状況を説明。彼はサンフランシスコ生まれなので、例のケーブルカーとイメージが重なり、興味を示す。
右から左に横書きされた看板をかかえた古い店が並ぶ通りへ。建物全面を銅版で覆った店に来ると、「アメリカでこんな店を作ったら、一晩で銅版がはがされて、売られてしまう」という。昔の銭湯がある。男湯と女湯を見渡せる境目の高所に置かれた番台をenviable positionというと笑いながらメモをとり、両方の角度から写真を撮っていた。風呂場の壁には必ず富士山が描かれているが男湯に富士の本体があり、女湯に続いた部分は裾野の絵になっているのは当時の世相との違いを感じさせる。戸外の休憩所で一休み。カルピスソーダ飲んでいて、「カルピス」はもちろん英語にはないはずだがCow peesと聞こえたと言われたのには参った。
建築関係で思い出して、近くの田無住宅展示場のことを言うと非常に興味を示したので行ってみる。もう5時を回っていたので、閉まっている展示もあったが、いくつか実際に入ってみる。アメリカ人で建築に興味がある人だというと、他に客がいないと親切に案内してくれる。Perryは鉄骨や断熱材、軽量コンクリートなど頑丈に作られていることに感心。アメリカではほとんど木材だけで作り、カーペットを張るので、下の床材の質は出来るだけ落とし、壁も外材と内部が釘で荒くくっつけるだけなので、地震などでは剥がれてバラバラになりやすいし、窓周辺も手抜きで、隙間だらけなのに値段は日本の高級資材を用いたものと同じだと言う。2世帯住宅の屋上に上がったらバーベキュ道具があり、そこで「記念撮影」! 最後に「こういう場所なら1日中でも見学したいくらいだ」とのこと。
遅くなったので、そのまま拙宅へ直行し一休みして、駅まで送り、乗車ホームを教えて、別れた。



Tea Ceremonyを経験したいという要望を入れて、ホテル・オークラ「聴松庵」のTea Ceremony体験を中心にガイドをした。成田空港ではなく、成田(京成本線)のホテルに2泊滞在だけの日本見物で、旅の中心は東アジアのクルーズが目的のカプルだった。イギリス人と結婚しイギリスで30年以上も過ごし、夫と死別したJutta(ユッタ)さん(63)と、そのパートナーでアメリカ系の石油会社のイギリス支店にドイツから転勤し長年勤務の後10年前に退職したWernerさん(68)の二人は健脚で、パスポートの空白ページが全部ビザで埋まるほどの旅行好き。東京のあとはクルーズで函館、釜山、ウラジオストック、上海に立ち寄りそれぞれの町を1日で観光して、上海からロンドンへ空路帰国とのこと。もともと2人はドイツ生まれで、それぞれの妻夫と死別していて、たまたまインド旅行中に知り合い、カプルになった。死別前の相手がそれぞれ旅行嫌いだったのに旅行好きの人にめぐり合い、しかもドイツ出身でイギリス在住という共通の環境が縁だったようだ。実際、30年もイギリスにいるのに彼らの会話はときどきドイツ語になる。今度のロンドン・オリンピックの期間中の2週間もWernerの故郷フランクフルトに退避(?)するという。
前日の夜、電話で成田発8:54の特急に乗るように確認し10:02に京成上野駅に着く電車から降りてきた2人と改札口の外で落ち合う。青い野球帽をかぶっていくと言っておいたので、こちらが気が付く前に改札の中から手を振っている2人を確認。結構な年なのに、動きも敏捷だ。すぐに銀座線で虎ノ門へ。そこから徒歩でホテル・オークラまで10分。本館7階の「聴松庵」へ行くが早すぎて入口が開かない。時間つぶしに1階に下りて庭園をみる。新緑の中に赤いツツジがまだ残っていてきれい。長居をする時間はないので、庭園の脇の野外カフェで水だけをもらいタダで一休み。
ホテル・オークラの創始者・大倉喜七郎の雅号「聴松」を借用して名付けた茶室「聴松庵」はホテル本館の7階にあり、窓の外に広がるテラスは枝垂桜や芝生を含む枯山水を主体とした日本庭園になっている。着物姿の女性が現れ、英語で庭をちょっと説明。そのあと手水の使い方を教えて外人にもやらせ、椅子席のある部屋へ通される。そこへ移動の際、背の高いWernerさんは頭を上の横木にぶっつけてしまう。うっかり注意が行き届かなかったことを恥じる。結局ガイドはお客の一人として居るだけだが、気が付いたことをときどき補足する程度。でも、お茶を飲み干すとき音を出すのはむしろsign of appreciationだと見なされると私が言ったら、和服の女性が、日本語で「それより飲んだあとで茶碗をひっくり返してまわりを鑑賞するときに、お茶の残りが滴れないようにするため」だと注意された。そのあと靴を脱いで脇にある4畳半の和室の茶室へ。上がり口は畳1枚分のスペースだが、背の高いWernerさんはそれでも頭をぶっつけそうになる。中に入ると正座。足をくずしてもいいと言っても2人とも頑張って正座する。そこでは普通の煎茶が出される。そこで先ほどの女性がこの茶室の説明を始める。床の間の掛け軸に流麗に書かれた「漁夫生涯竹一竿」という言葉をゆっくりと説明。漁夫には釣りに使う竹一竿があれば他のものは要らないという簡素な生活がお茶の精神だとくどいように言うが、彼らはそれより足が痛そうでJuttaさんは遂に足を投げ出す。しかし何とか立つことが出来て無事退散。最初の椅子席でのお手前では花の形をした干菓子が2つ、鶴屋吉信の練菓子が1つ出て説明付きで抹茶を出され、あとの和室でのもてなしも含めて1人1050円。予約制のためか、その時間中我々以外に他にお客はなかった。
ホテルをあとにして、徒歩で虎ノ門に戻り、そのまま銀座線で表参道へ。(土日はホテルから虎ノ門まで帰り道は無料のシャトルバスがある)。大通りを原宿方面へ向う。Wernerさんは買い物が嫌いでJuttaさんがWindow shoppingで立ち止まっても、どんどんと行ってしまう。Juttaさんが気に入ったものが見つかって「買いますか」と聞いても、Wernerが許してくれないから...とあきらめる。しかし17年前に一人で日本を訪れたことがあるWernerさんも「ここは銀座より雰囲気がいい」と歩くのは楽しんでいる様子。高級ブランド店がありすぎるので、脇へ入って、デザイン・フェスタに入る。裏手のビニールシートで囲われただけの「お好み焼き屋」の前を通ると、「ここで食事をしたい」と言う。2種類のトッピングをつけたお好み焼きが1050円だというので、6種類で3個を作ってシェアすることに。酒はまだ時間が早いというので飲み物は水だけ。彼らもおもしろがって三角のフライ返しをうまく操作する。「こういう経験は自分たちだけでは出来ないし、とても日本的な経験なので嬉しい」と彼らは不思議なくらいはしゃぐ。
満腹になり、さあ食後の運動だ...と原宿通り、竹下通りをさかのぼる。ここでもWernerさんはどんどん行ってしまうが、Juttaさんは遅れる。ファッションにも興味があり、若者の変わったスタイルや色彩を見つけては"Look at this!"を繰り返す。Application Formには彼女の興味をteaとtemplesしか書いてなかったが、実際はかなり違うということを実感させられる。とにかく土曜日の竹下通りの雑踏を抜けて、静かな明治神宮へ。ここもかなり人出があるが、砂利を歩く足音だけ。例によって白装束と紋付袴の結婚式カプルが2組もい居て、素人カメラマンのカメラに取り囲まれている。Juttaさんもその1人になる。例によって、シメナワや御幣を説明したり、さまざまな言葉で書かれた絵馬を読んで笑ったりしていると、Wernerさんが皇居へも行きたいというので、早速原宿に戻り、東京駅へ向う。
二重橋前の写真スポットもわりに空いていて具合がいい。東御苑に移動し、日本庭園に入る。やはり新緑の中にツツジとアヤメがきれい。一応小さな滝もありコイの居る池もあり、想像していた日本のイメージとピッタリ...と彼らも満足そう。しかし江戸城址の下まで坂道を上がると天守閣跡に上がる元気はないという。やむなくウラの桔梗門から出て、竹橋駅へもぐりこみ浅草へ向う。
浅草も仲見世は通り抜けるような感じで過ごし、本殿の前に出ると、おみくじを引きたいという。100円入れて番号の引き出しを少し開けると「凶」の文字が目に入る。あわてて閉めようとしたが、Wernerがすばやく1枚引き出した。具体的には忘れたが、「あなたは悪い人に会うことが多い。警戒を怠るな」などと英語の説明は疑心暗鬼を促すように書かれていて、せっかく良い人にあったと喜んでいる2人に水を注すような内容。「中華料理のあとのFortune Cookieと同じなので気にするな」と言って、脇の針金に結びつけた。
日本酒を飲んだことがないので飲んでみたいとWernerさん。Juttaさんも飲んでみたいというので、伝通院通りの西北方面の一杯飲み屋が並ぶ通りへ。日本のパブだよと言いながら外からも空席が見える店へ入る。U字型にせり出したカウンターの横に3人で席をとる。Wernerさんは熱燗に興味を示すがJuttaさんはお酒は冷酒でなきゃダメという。私も熱燗を1杯付き合う。2人はそれぞれ熱いのと冷いのを一口ずつ試し、熱い方が強いと気に入った様子。焼き鳥のタン(tongue)も2人のお気に入りになった。そのうちカウンターの中の女の子が、さっきまで前で飲んでいたお客がJuttaさんへの伝言を頼んで出て行ったという。よく聞くと「Juttaさんが美しい女優のように見えた」と伝えてくれと頼んで消えたらしい。通訳してくれというので、その通りに言って、最後にHe seems to be in love with you.と付け加えたら、まんざらでもない表情になった。Wernerはあわてて「彼女は1人しかいないのに、別に横に彼女の幻が見えたのかな」ととぼけてみせた。
3人とも少しガソリンの補給が出来たので、銀座へ出かけた。でもかなり遅くなったので、車中で成田への帰り方を教え、銀座4丁目の交差点へ上がったところで、目の前の三越のデパ地下やSONYビルの位置などを確認して分かれた。

<このページ上部へ移動>


BerylさんはNew Yorkのマンハッタン島西のハドソン川の西側対岸New Jersey州Newarkにある唯一の名門州立大学Rutgers Universityでアメリカ近現代史や女性史を教える教授。Yale大学でPh.D.をとった才媛だけに、私が言うのも変だが、的確な表現でリズミカルな上に無駄のない英語が小気味よく小柄な身体からポンポン飛び出す。こんな先生の講義を聞いてみたいものだと思うほどだ。講演などでアメリカ中を飛行機で飛び回ることも多く、知らぬ間にマイレッジがたまっていてクレジットカードのポイントも加わってAmerican AirlinesのNew York, Tokyo間のファースト・クラスがタダになるほどになったので、丁度大学の学期が終わった今、それを利用して初来日。
浅草の仲見世通りからちょっと西に入った古風な旅館「指月」のロビーで9時に会う。翌日からJRパスを利用して2週間で日本の要所を回るのに先立ち、まずvoucherをJRパスに変えて列車の予約もしたいというので、上野駅へ向う。中央改札の脇の外人専用のカウンターは都合よく空いていた。旅程を細かく書いたノートを広げて次々に2週間分の全ての予約可能な切符をそろえる。それでも30分くらいで完了。その頃には後ろに外国人の長い列が出来ていた。
折角上野に来たので、上野公園を歩く。まず江戸城の鬼門を守ると言われる寛永寺の清水観音堂へ。狭い「清水の舞台」の上で、次々に質問が飛んでくる。妙な姿の「撫で仏像」の意味。それが着けている前掛け。絵馬。針金に結んだおみくじ。などなどさすかに好奇心旺盛な方だ。
次に「上野大仏」。顔以外の部分が溶かされてアメリカ人を殺す鉄砲の弾になったことを当のアメリカ人歴史学者にも伝える。隣にある全身の大仏像の写真と比べて「元はこんなに大きかったの?」と感無量の趣。そのあと彼女一人でも来れるように、国立博物館、西洋美術館、文化会館、東照宮、動物園などの位置を確認して、不忍池畔の「下町風俗資料館」に行く。
ここは一昔前の普通の日本人の生活環境がそのまま保存されているので、彼女はとても興味を示す。展示を見るだけでなく、実際に触れて体験してもらう。4畳半の中心に置かれた丸いちゃぶ台や長火鉢の前に座り、振子の揺れる柱時計を見る。押入れには布団がきれいに積まれ、蚊帳もあり、衣装箪笥を開けると着物が入っている。私も懐かしくなって、それらを一つ一つ手にとって説明する。4畳半という同じ狭いスペースが、食堂、寝室、居間、場合によっては勉強部屋や書斎に、さっと役割を変える生活に「合理的で賢い生き方」と彼女も感心。特に蚊帳には日本の気候を考えた開放的な家にピッタリ...と感動。便は肥料にされ、トイレの外に吊るされる手洗い器から下にたれる水は下の植物を育てていることに気付き「とてもエコを考えた生活ですね」と言う。その他、テレビのない時代の紙芝居の様子、手押しポンプの井戸、五右衛門風呂の入り方を実地に説明、また男湯と女湯の間にある銭湯の番台にすわる「中性」(?)人の微妙な立場を笑う。懐かしい洗濯板は彼女も昔アメリカで見たものと同じだという。関東大震災や東京大空襲の写真なども気を引き、質問の雨。
次に原宿に行きたいというので、山手線に乗る。質問してもいいというので、アメリカの状況を聞いてみる。大統領選挙の行方は依然不透明だと言う。不況対策の違いもあるが、基本的には、アメリカ人はロムニー氏のモルモン教が嫌いだが、オバマ氏が黒人であることへの反感は依然根強く、白人であるというだけでロムニー氏を選ぶ人も多いという。
また近年、戦争に対するモラルや意識の低下がひどいと嘆く。今は志願兵制度なので兵士になって給料をもらうのは一種の職業につくことと同じで、州によっては不況で若者が兵士になる以外に「仕事」がない状況がある。金持ちは兵士にならないので、戦争は他人事で、無関心という二極分化だという。ベトナム戦争のころは徴兵制だったので、兵役を逃れるために若者はあらゆることをした。絶食を続けて極端にやせ細り、兵役検査で不合格を目指したり、わざと麻薬を使用して兵士として不適格という烙印を期待するものもある一方で、大学に進学して兵役の延期を申請し、戦争が終わるのを待ったりしたが、とにかく貧富に無関係に全員が兵役や戦争に関心をもっていた時代だったという。
不況も深刻で、彼女が教えるRutgers大学も州立大学で、以前は経費の70%を州が負担していたそうだが、今や30%にまで減らされて、学生の困難な状況を考えると授業料は上げられず、経営は火の車とのこと。
こんな話に熱中していると原宿に着いていた。急いで下車。改札を出たところで、彼女が背中にはおっていた黒の薄い上着を電車内に置き忘れたことに気が付いた。私も全くうっかりしたが、もう後の祭りで、一応原宿駅で忘れ物として届けがあったら連絡してくれるように私の連絡先を届けた。
とにかくまず明治神宮へ向う。明治天皇没後丁度100年なので、参道に特別展示がある。私はここでは時々、関心を示す人には、神道が神話から生まれ、廃仏毀釈などを経て、妙な「愛国心」を掻き立てるのに政治的に利用されて戦争に至った経過を私なりに拙い英語で説明する。そして天皇という人間や乃木希典、東郷平八郎などの「人間」もいつの間にか「神」になる不思議な国であることも付け加える。彼女も歴史家のためか「愛国心」の問題にはすぐ理解を示す。
竹下通りへ行き、置き忘れた上着の代わりを買おうと探してみるが、好みが合わずになかなか見つからない。アメリカ人としてはとても小柄な彼女は、アメリカでは既製服は全部大きすぎてダメで、すべて注文で済ませているので、日本だと丁度合いそうだと期待していたようだが、靴を合わせてみても、どれも彼女にはまだ大きすぎる。
そのまま、原宿通りを行き、近くの若者向け画廊「デザイン・フェスタ」の話をすると興味を示したので、案内する。そこでまたお好み焼きを食べるハメになった。どういうわけか、彼らはこういうところに引きつけられるようだ。ただ、加熱された鉄板の油が出す煙が目に入るので、目が弱い外国人には涙との闘いになる人もいる。各テーブルの脇には手さげなどを置くカゴがあるが、彼らは「こんなところに置いておいて、置き引きされないか」と心配してよく聞く。しかし「日本は全く大丈夫だよ」と言えるのはうれしい。
表参道に出て、表参道ヒルズ、森英恵ビル、オリエンタル・バザーなどの建築物を説明しながら進む。たまたま近くにあるコム・デ・ギャルソンの話をしたら、自分でも15年間で4着しか買ってはいないが、ニューヨークの彼女のアパートの近くにも1軒あり、友人をよく連れて行くというので、関心を示す。早速青山店に向う。彼女に言わせると、コム・デ・ギャルソンは衣服の発想を根本から変えた革命だという。つまり普通の衣服は人間の身体の線を尊重し意識して,それに合わせるように作るが、川久保玲は身体と無関係に作ったデザインをそのままくっつけて楽しむのだという。しかし最近ではかなり時代に妥協したものが多くなったといいながら、丸く曲線を描く大きなガラスに囲まれた明るい店内で、幾つか奇抜なデザインの衣類を選んで見せてくれた。今まで違いがよく分からなかったので、私にとっては新しい発見だった
もう1つ彼女が行きたいと言っていたのが代々木公園の「大江戸骨董市」。6/17を希望していたが、ネットで調べてみると今日(6/3)も開催とある。近いので行ってみることにする。日曜でかなりの人出。きれいな新緑の中のところどころに鮮やかな花が目立つ。特にバラ園はきれい。片隅でアメリカ人らしい若者たちが縄跳びをしている。2人の回し手が長い2本の縄をそれぞれ内側に大きく回す中に飛び込んで技を見せながら飛ぶ。Double Dutchと言う飛び方でアメリカでは黒人しか出来ない高級技術なので黒人の運動能力を示すものだと考えられていると彼女が教えてくれる。しかし、行けども行けども「骨董市」はない。雨の予想が出ていたので中止になったらしい。仕方がないのでバラ園前で写真を撮って新宿へ向う。
都庁の展望台へ上がる。富士山は見えなかったが、東京タワーもスカイ・ツリーもよく見える。目の間の「ホテル・パーク・ハイアット東京」のビルを見ながら、Berylさんに映画Lost in Translationの話をしていたら、後ろで聞いていたらしいドイツ人の若者が、感慨深そうに「あれがその舞台になったところですか」と英語で声をかけてきたのでビックリ。聞くとドイツの大学でPh.D.を取りかかっている理系の学生で、沖縄大学のセミナーに参加するために来日したらしい。Berylさんも良く知っていたが、あの映画は彼らの間では本当に定着している感じだ。
そのあとNSビルのアトリウムにある巨大な振子時計をみて、新宿駅に戻る。山手線の渋谷方面行きホーム番号と、地下鉄銀座線で浅草へ帰る道順を説明して、そこで別れた。
Berylさんからはあとで、彼女の著書の1つFamilyPropertiesが送られてきた。ハードカヴァーの500ページの大作だったが、2週間かかって読み終え、細かい感想を送った。シカゴで黒人が住居を取得するときに、白人の業者にひどい条件を強制されて騙されるのを彼女の父が弁護士として守って闘った姿を描き、有名なKing牧師との交流や、これまでの歴史を細かい資料で検証した労作だ。今のロムニー大統領候補の父が政府の住宅局(FHA)の長官だったとき、ひどい無駄遣いを阻止できなかった状況も出てくる。彼女からは感想に対するお礼も届いた。


本人のBrian(53)はすでに日本に来ているということが分かったので携帯電話に電話し、7/25に原宿の神宮橋の上で会うことにしたのがガイドの依頼を受けた7/22日。本人はNew Jerseyの名門高校の英語教師で、教師の研修で6月から日本に滞在中。奥さんのAlexandra(54)は22日の午後に日本到着予定で、あまり足が丈夫ではないというので、せいぜい2〜3時間くらいしか歩けないという。少し原宿界隈を歩いて、昼食でもして話しましょうということになった。
そして7/25の10時に約束の目印として野球帽をかぶっていたら、すぐに分かった。すごい日照りで焼け付くような暑さ。マンションの広告入りのタダのウチワを用意していたので渡す。駆け込むようにして明治神宮の森の日陰へ逃げ込む。New Jerseyも同じだと言いながらも、Alexandraの顔は真っ赤で玉の汗。Brianは高校でアジア文学の講座を担当していて、インド、中国、日本、韓国などの文学を教えているという。アメリカの高校では極めて珍しいそうだが日本古典文学も教えていて、枕草子、源氏物語はもちろん万葉集、和泉式部日記、鴨長明の方丈記、芭蕉、なども教えている。どういうわけか徒然草は入っていない。俳句や短歌も実際に学生に課題として作らせるそうだ。ただ、本人は漢字、かなが読めないとのことで、すべて英語の翻訳を教材として使っているし、学生も、英語でsyllableを音の単位として短歌などを作るという。一方奥さんのAlexandraは出身のMassachusetts大学で社会学を専攻し、優等生(Magna cum laude)で出た秀才。教育書籍の出版社に勤めていて、自分でもフリーで教育書の著作を続けているという。
たまたま明治神宮では明治天皇没後100年目ということで、参道に大きな歴史絵巻のような看板が続く。Brianはさすが明治天皇が1912年に亡くなったことも知っているし、黒船の到来なども説明なしに2人ともすぐに理解するが、「西郷隆盛は京都の人だっけ?」のような質問もする。手水の使い方も分かっている。ただ今日は赤口で縁起が悪い日のためか、結婚式は見当たらない。縁起カレンダーのことを言うと興味を示す。代りにどこかの平和団体(?)が集会をやっている。神社、神宮と寺院の違いなどもBrianは知っている。しかしアメリカも複雑な民族構成になって宗教も入り組んでいて、Alexandraはプロテスタントなのに、Brianはユダヤ教信者だそうだ。
次に竹下通りへ。竹の子族の元、ブティック「Takenoko」では2人共目を丸くする。でもAlexandraがかなり疲れた様子なので、先のデザイン・フェスタで休むことにする。最初はカフェの冷房が効いたコーナーでアイスコーヒーを飲みながら談笑。Alexandraが手首にはめたやや大きめの腕時計のiPodを操作しながら家族の写真やGPSの付いた地図をみせてくれる。同じNew Jersey在住の先月案内したRutgers大学のBeryl先生のことを話すと、BrianもRutgers大学修士課程の卒業生で、話が弾む。すぐ下にお好み焼きがあるというと2人とも是非食べたいというので、「さくら亭」へ移動。やはり冷房の効いた内部の席に座る。「お好み焼き」と「もんじゃ焼き」のセットを注文。店内はかなり空いていたので、お好み焼きは店員に作ってもらう。Brianはお好み焼きのファンで、京都でも広島でも食べたので、比較してみたいらしい。最近ではニューヨークにもお好み焼き屋があるそうだが、厚みが薄くて中身もお粗末だし、やはり日本のものに限るという。そう言われてみると、最後の段階で目玉焼きの上にお好み焼きをかぶせて焼いたり、結構手がこんでいる。私も最初はあまりうまいと思わなかったが、このところ何度か付き合っているうちに意外といけると思うようになった。「もんじゃ焼き」はAlexandraが作ると言い出し、足の痛さも忘れて、そばの英文の図解を見ながら、Brianの協力も得て見事に仕上げた。Brianにとってもモンジャは初めての経験で、「東京の味」と喜んだ。
Brianは日本語もかなり得意のようだし、Alexandraはかなり疲れた様子なので、そのままそこでゆっくり休みたいとのことで、食事をご馳走になってそこで別れを告げた。

<次ページへ>


●このページの一番上に移動(この文字をクリックしてください)  ●ここをクリックすると1頁目に戻ります。