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外国人が興味を持つ場所というのは大体決まっている。彼らが読むガイドブックに書かれていることの影響は大きい。日本人から見ると、あの一見汚い混雑した築地魚市場になぜあんなに興味を持つのかと思うが、多くの外国人は異常なほどのご執心ぶり。例えば近くのコートヤード・マリオット・ホテルなどに宿をとって朝5時半に起きて出かける。私はそんなに早く都心へ出られないので、「行くなら自分達だけでかってにいきなさい」と言って、彼らが見学を終えて出てくる8時半頃に築地市場の入口で待ち合わせて、そのあとの観光案内をすることにしている。最近では魚のオークションから外人見学者を締め出すことになったが、それでも脇の方から見学は可能のようで、朝早く出かけていく人は多い。遅くなってもいいから行きたいという人たちもいて、私も実際に案内することがあるが、広大な屋根の下で、巨大な丸太のような冷凍マグロを電動ノコギリのようなもので切り開いていくさま、名前を聞かれてもよく分からない奇形の生物がケースの中で動いている様子などは外人でなくても新鮮だ。水溜りの多い狭い通路にはエンジンを付けた荷台だけの車が次々に突っ込んでくる。それでも気にしないで、盛んに歓声をあげてカメラのフラッシュを焚く観光客。確かに肉食中心の国から来た人々には珍しい別世界なのだろう。でも同時に刺身の人気が世界的になりつつある証拠でもある。

実際最近では日本に来る外人で寿司好きの人はかなり多い。だから築地で寿司を食べるのを旅行の目的にしている人もある。そういう人が必ず行くのが、場内市場にある寿司屋「寿司大」か「大和寿司」だ。狭いカウンターだけの小さな店なのにそこには早朝暗いうちから外に行列が出来る。普通1時間か1時間半待ちだが、そこで辛抱強く待って食べる。すぐ近くに5~6軒は他にも寿司屋があり、行列も出来ていないのに、そこにこだわるのはたまたま英文のガイドブックにそこが紹介されているからだろう。

場外市場でSushi-sei(寿司清)という店が紹介されているドイツ語のガイドブックを見せて、連れて行ってくれないかと言ったドイツ人一家がいた。娘夫婦と娘の両親の4人組。私もよく知らなくて、尋ね尋ねてたどり着いた。運よく待ち時間なしで5人座れていざ注文という段になって、娘の父が生の魚はダメだと言う。先ほどガイドブックを見ながらの話は聞いていて異議ははさまなかったのに変だと思ったが、「自分は外で待っている」というので、残りの4人だけで食べた。外のベンチで一人待っている父にお構いなく、母子は夢中で食べていた。出されるごとに魚の種類を確かめる。マグロ(tuna)やイカ(squid)などはいいが、カツオ(skipjack tuna)、ブリ、ハマチ(amberjack)、アジ(horse mackerel)アナゴ(garden eel)などは英語をときどき混乱する。私もおごってもらったが、確かに新鮮な食感は、一味違う。

秋葉原界隈も彼らが興味を持つスポットだ。世界中でもあれだけ電気電子関係の店が集中している場所は他に例がないだろう。首都圏に住む4000万近くの人が電気器具を購入するときに一応は頭に浮かべることを想定すると、あれだけの店が並んでいながら小さな店でもつぶれない理由が分かる。駅に隣接したところに屋台のような店が並ぶ迷路のような場所がある。50年以上前から小さなラジオの組み立て部品を売ってマニアを引きつけていた場所だ。小豆大の部品がマッチ箱のような容器に入れられて一面に並べられた奥に店主が所在無く座っている。“Unbelievable!”と歓声をあげる外人。裏通りの中古品店、自作パソコン用の部品を売る店、海賊版ソフトを売る中国人、ジャンク部品専門店なども興味の対象だが、ヨドバシ・アキバなどの大規模店も目を見張る。ただ、外人が買い物をするときヨドバシのポイント制度はやっかいだ。日本に国籍がないとポイント・カードを作ってもらえないからだ。事実上の割引制度なのに彼らが利用できないときに、ポイントが20%も付くと無視は出来ない。私のカードに入っていたポイントから割引分だけ引き落としてもらい、彼らが新しく買った物のポイントを私のカードに入れてもらうという形で精算している。

秋葉原は安いと聞いてやって来る外人がガッカリするのはiPodなどの商品だ。アップル社は世界中の売値を統制しているようで、大抵の外人が自分の国と同じ値段だと言う。しかし一眼レフのデジカメや任天堂のゲーム機、ビデオカメラ、それにデジタルビデオ用の小さなDVテープやメモリーなどはかなり安いらしい。大量に買い込んでいく人がいる。困るのは携帯電話機。電話会社数社が端末を売ることも独占していて配信方式も欧米と違うので、ワンセグなどの付いた日本の電話機だけを買いたいと言われても全く不可能だが、その希望がかなりあることだ。

博物館見学はあまり人気がないが、戦災でほとんど全てが失われた東京で、歴史を辿りながら古い文化財をそのまま見られるのは博物館、特に上野の「国立博物館」しかない。ここでは「特別展」が大抵催されていて入場料が高くなっているが、本館などの「平常展」だけ見るのなら、600円だし、平常展の方が見ごたえがある。埴輪や土器、仏像や経典などもしっかりと置かれているが、国宝の源氏物語絵巻や古筆、水墨画、刀身、屏風絵、能面や歌舞伎衣装など全国から集めた貴重な逸品をじかに見られる上に館内も混んでいないので、行った人は感動する。

江戸東京博物館も「日本橋」の実物大(長さは半分)の模型や江戸時代の「中村座」の原寸大の正面などユニークなレイアウトや企画の新鮮さで引きつける。文字通り江戸時代とそれ以後に絞ってはいるが、例えば江戸時代のカゴに実際に乗ることも出来る。外人も長い足を持て余しながら乗り込む。昭和初期と書かれた実物大の部屋の模型など、時代遅れの今の我が家と大して違いはないので妙な共感がある。しかし東京大空襲のとき爆撃を受けた残骸などの展示をアメリカ人に説明するときはお互い複雑な思いになる。更に戦後すぐのころ、肩に天秤棒で担いだ大きな桶がある。「何を運んだと思う?」と聞くと日本人でも若い人は分からない。まして外人は考えも及ばないようだ。肥料がなくて、人糞を貯めたトイレからこれで畑に運んでまいたのだと説明するのは妙な気分。

 ついでにもう1つ。相撲に興味を持つ外人は多い。しかし国技館での大相撲は高いし、年に3回だけ。遠くの椅子席では双眼鏡がいるし、迫力も全くない。国技館の近くの「相撲博物館」は名ばかりで、見るに値するものはほとんどない。しかし両国の近くには相撲部屋(Sumo stable)がたくさんあり、早朝のけいこをタダで見せてくれる。これは外人でなくても、見ごたえがある。巨体同士がぶっつかりあうときの、バシッというものすごい音と気合の入った声、激しい息遣い、寒中でも汗まみれになって、転がってはまた起きて投げられる。それをすぐ1〜2メートルのところに座って体験できる。皮肉なことに、巨大な国技館で行われるようになって、普通の財力の人ではこのものすごい迫力を経験できなくなったが、ここではまだ細々と生きていることを外国人が先に気が付いてブームになった。どういうわけか、これはテレビでは伝わってこない。フラッシュを使わなければ、写真も許されている。両国駅近くでは、私の感じでは春日野部屋、出羽の海部屋、時津風部屋などがいいように思う。ただ、練習は朝6時頃から始めて、10時半頃には終わるようなので、早起きが必要。畳に座って見ることになるので、外人には決して楽な姿勢ではないが、迫力に圧倒されて、疲れも忘れているようだ。「フランスのシラク大統領も大の相撲ファンで、よくお忍びで国技館に来る。でも彼も相撲部屋は知らないのではないか」と言ってフランス人が感動していた。


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皇居はやはり観光スポットだ。インターネットで予約すると宮内庁職員が皇居内を案内してくれるツアーがある。東京駅に一番近い桔梗門に決められた時間に集合し、宮内庁前を経由して、皇族の立ち見台になる新宮殿の前を通って、鋼鉄製の二重橋を渡ったところで折り返すコースだが、建物内に入ることはない。その上、軍隊の行進とまでは言わないが、隊列を組んで歩かされ、列を乱すとマイクでどなられながら、自由な時間のほとんどない「見学」なので、個人の趣向に配慮する外人向きではない。だから私はむしろ一般に開放されている「東御苑」の方に案内して、江戸城跡付近を散策してもらう。もちろん江戸城はないが、基礎の石垣部分が残っているし、この地から260年以上にわたって徳川家が全国を支配したわけだから、士農工商の制度や参勤交代の仕組みなどを説明するきっかけが出来る。東御苑入口の大手門の渡櫓(わたりやぐら)は90度に曲がったところに2重の門があり、城門の防備戦略を説明するのに都合がいい。40年前に再建されたものだが、シャチだけは本物が目の前においてあり、「なぜこんなところに魚が?」という彼らの素朴な疑問に、木造建築における防火の縁起物を実感させることができる。

大手門の受付を通ってすぐ左側に門があるのに門番がいて立ち入り禁止になっている。その向こうの大木の間に塀越しに建物が見えるが、そこからはよくキーキー、キャーキャーという声が聞こえてくる。皇宮警察の武道場で、中では甲高い掛け声や気合とともに竹刀の触れ合う音が響く。ドイツ人グループとともに通りかかったら、
 「あそこにサル小屋があるのですか?
と聞いてきて大笑いになった。勿体をつけたような皇宮警察がサルの集団に間違われたのも愉快だった。多くの観光客が近くを通っているのだから、ちょっと説明の札でもあるといい所だ。

皇居前広場は奇妙なところだ。東京のど真ん中であれだけ広い空間があっても細かく剪定された松ノ木以外にはほとんど何もない。ただ、片や平和で静寂の皇居の緑が広がる一方で、幅のある中央通りの向こう側はビルがひしめく摩天楼のビズネス地域。全く違う2つの世界が対照的に見渡せる中間地点だ。アメリカ人だとニューヨークのセントラル・パークから回りの高層ビル街を見る感覚に似ているという。帝国劇場や帝国ホテルも見渡せるので、建築に興味がある人ならフランク・ロイド・ライト設計の旧帝国ホテルが反対運動にもかかわらず取り壊されて、その玄関部分が明治村に移築されたことなどにも興味を示す。ただ皇居といっても、バッキンガム宮殿などと違って宮殿の建物さえ見えず、ベルサイユ宮殿のように内部の見学を許すわけでもなく、櫓(やぐら)がちょっと見えるだけなので、櫓をさして「あれが宮殿か?」と聞く人がいるくらいだ。

皇居のあとは銀座へ出ることが多い。ソニーのショールームなどを抜けて銀座4丁目へ出る。銀座は江戸時代に銀貨の鋳造所に指定された場所で「お金を作る」場所だったのに、今では「お金を最も浪費する場所」になっていると説明する。アメリカ人に説明するときは「マンハッタンの5番街42番通の交差点」に当たると言い、イギリス人には「ピカデリー・サーカス」、フランス人には「シャンゼリゼ」などというと分かりがいい。高級ブランドの品(designer goods)を並べた店に興味を持つ人もいるがむしろ例外的で、多くの人はデパート地下の、立食パーティ会場のような食料品売り場に興味を示す。銀座の三越など地下2階分全部が食料品の陳列場だ。値段はさて置き、洗練された感覚の食品や品物のカラフルな配列の美しさに驚く。フランス人のグループを連れて行ったら、何と長いフランスパンとフランスのケーキを買った。さらにフランスから直輸入の生チーズ、加工肉、出来合いの野菜サラダまで買って、ホテル持ち込んで晩に皆でパーティをやるのだという。ワインは自分達で持ってきたというから用意周到。日本人がパリのホテルで海苔茶漬けを沢庵で食べているのと同じ感覚かもしれない。

日本人と違って、彼らはあちこち飛び回って沢山見るより、休暇なのだからしばらく動いたら、しばらく休憩してお茶かコーヒーを飲むことを好む。People-watchingと称して、談笑しながら、通りを行く人を何となく見て過ごす。銀座界隈とか、原宿の表参道などは、夜遅くまで人通りが絶えることもなく、疲れた足を休ませて、ゆっくりと流れる時間を過ごすのには最適だ。しかし外国と違って、日本では屋外のカフェを見つけにくい。日本人は、通っていく人を何となく見て楽しむということをあまりしないので、屋外のカフェが必要ないのかもしれない。

浅草の仲見世通りは浅草寺の境内(つまり「中」)にある「店」から由来して、「中店」だが、直接的すぎる表現をさけて「仲見世」と格好をつけた。しかし外人をここに連れて行っても反応は実にマチマチ。ある団体で、ここをじっくり見たいから突き当りの浅草寺で1時間後に集合するまでは自由にしてくれというのもあれば、ほとんど見ないで浅草寺に「直行」する人もいる。ただ一般的には日本的な安いおみやげが豊富にあり種類もいろいろあり、おみやげ漁りには好都合のようだ。あたりは銀座などとは対照的に下町的な素朴さが残っているし、大きな提灯の雷門は外国にも写真が出回っている。ほとんどの建造物は東京大空襲で焼失したが、五重塔や本堂(観音堂)も再建され、400年前の二天門が東にはあるので、何とか形にはなっている。

しかし寺の歴史についてはもっともらしい説が伝えられていて、それを説明していても自分自身落ち着かない。浅草寺も7世紀に近くの隅田川で5cmの長さの黄金の仏像が漁師の網にかかり、それが本尊の聖観音像とのことだ。しかしその像は秘仏だそうで、いまだ公開されたことはないので、本当にあるのかさえあやしいものだ。空襲で焼失したときにも溶けてなくならなかったとしたら、今あるはずの像はどのようにして回復したのかさえはっきりしない。しかもすぐ隣の同じ境内の中に「浅草神社」がある。お寺と神社は別の宗教なのに、けんかもせずにどうして「同居」できるのか、宗派が違うだけで戦争になる世界から来た彼らには不可解のようだ。

私はこの問題に関しては、June Kinoshita & Nicholas Palevsky, “GATEWAY TO JAPAN”の解釈、つまり

「神道は、国民の日常生活の背景にある習慣の集大成のようなもので、本来宗教が持つ個人の内面を支配する力は持たないので、他の宗教とも共存できる。個人の心の問題には踏み込まず、社会生活の儀式やお祭などの形で根付いているものだ」を基に説明することにしている。一方神話を基にした神道には、明治維新の廃仏毀釈から尾を引いている国家による宗教統一の流れも底流にあり、政治権力が神道を利用して「愛国心」をあおり、その帰結が太平洋戦争の悲劇につながったという歴史にも触れることにしている。

浅草からは隅田川沿いに水上バスが浜離宮方面に出ている。これが彼らには人気がある。お花見のシーズンには気を利かせて隅田川を一旦上流にさかのぼり、隅田公園のサクラをゆっくりと見せてからUターンして浜離宮に向かってくれる。隅田川も昔に比べてきれいになったし、悪臭もなく、隅田川から支流のような水路がいろいろ分かれて小さな船が行きかう。岸辺の建物がもう少し優雅で落ち着きがあり、歴史を感じさせてくれるものならなお良いが、「これこそ、日本のベニスだ」と言ったフランス人がいた。ここでも、イギリス人には「東京のテムズ河をクルーズする」と言えば分かりが早いし、相手によって、セーヌ河、ハドソン河、ライン河、ドナウ河はたまたガンジス河と変えれば隅田川への親しみが増す。

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