↓既刊号です 



1.
 孫2人のピアノ
2. オーストリアの旅(Austrian Trip)
3. ザルツブルグ結婚式(Salzburg Wedding)
4. スペイン人お宅・フラメンコの夕べ(Logrono)

 1. ポルトガル一人旅 (PORTUGAL)
 2. 東ヨーロッパの光と影 (EAST EUROPE))
 
3. タスマニア島とオーシャン・ロード
   (TASMANIA & OCEAN ROAD)
 4. ボランティア・ガイドのスナップ集
   (VOLUNTEER GUIDE PHOTOS)
  5.  `オーストリアの田舎巡り
   (The Countryside of AUSTRIA)
●サウンドとシナリオで「英語耳」!      (4以外は全編収録)
 1. 星の王子さま(Little Prince)
 
2. ローマの休日(Roman Holiday))
 
3. エデンの東(East of Eden)
 
4. セールスマンの死
   (Death of a Salesman)(未完)
 
5. 第三の男(The Third Man)
6. オバマ大統領演説集(President Obama's Speeches) 
 2004.11.2 Easy Plays from Shakespeare Igusa1998 Koyamadai3D Minamitama Kunitachi_1957 Shimonoseki

個人旅日記など 
  スペイン・南フランス・イタリー知人訪問
オーストリア田舎巡り
早春のクロアチア、スロベニアを行く
 東京で異文化交流
 タスマニア島とメルボルン
 東ヨーロッパの光と影
 ポルトガル一周一人旅
 フロリダドライブ日記
 ドイツ・オーストリア写真帳
 奥の舗装道(ほそみち)
 カナダ人我が家滞在3週間
 アメリカ国立公園
 西南ギリシャ
 サイパン島
 ニュージーランド
 セブ島
 カナダ・アメリカ西部
 アイルランド
 パリ→ローマ ドライブ
 ケニア
 フィジー
 フィリピン
 グァム
 北海道
 


        
 スペイン家庭訪問・フラメンコ(30分)
 浩・絵美ザルツブルグ結婚式(13分)
 オーストリアの旅(40分)
 孫たちのピアノ(13分)
 イオニア海の島々(40分)
 タスマニア・メルボルン(50分)
 東ヨーロッパ(40分)
 ポルトガル1人旅(40分)
 カナダ人日本滞在(50分)
 カナダ家庭滞在(50分)
 ニュージーランド紀行(80分)
 奥の舗装(ホソ)道(50分)
 フロリダ・ドライブ(50分)
 サイパン(20分)


 この映画の製作者、マイケル・ムーアは、1989年にGM社長のRoger Smithのやり方を批判した彼の最初のドキュメンタリー映画“Roger & Me”を製作した。その時、ブッシュ大統領の実のいとこになるKevin Raffertyに映画の制作方法を教わったという経緯がある。今度の「華氏911」はいわば、ブッシュの身内に教わった技法でブッシュ一族を洗い出した作品だ。その関係もあり、ムーアはブッシュに「親近感」を抱いているようでもある。

たまたま出版日が9/11と重なったために問題をかもし出した彼の本Stupid White Menの中で、彼はブッシュに3つの質問をする公開質問状を提出した。ブッシュが

1.     大人レベルの読み書きが出来るか?(大統領職としては文盲と言えるのでは?)
2.     アルコール中毒ではないか? もしそうなら、最高司令官として大丈夫か?
3.     重犯罪者ではないか?

というものだった。大学卒後の「愛読書」が青虫の童話(The Very Hungry Cataerpillar)だったことが、うっかりバレテしまったことがあったり、彼は実際40才まではかなりのアル中で、逮捕歴も3回ある。水爆ミサイルのボタンを押す権限が与えられている彼がこのような状態で、世界の人の安全はどうなるのだろうかという不安から生まれた質問だった。

 大統領の親父を持つ家庭に育ったことが、息子ブッシュの性格を決めるのに大きく影響したようだ。寄宿制の名門高校に親の威光で入学したあと、とても入れるレベルではないイェール大学、ハーバード大学院などに、名前がブッシュだったというだけの理由で入り、自分の力で入ったものは一つもないとムーアは言う。実際、ムーアは、ブッシュがイェールに「コネ入学」したために不合格になった学生を連れて抗議行動をしたこともある。

 その後の彼の人生でも、兵役の場所など決めるときに、ベトナムを避けるように故郷の近くを選びながら、途中1年半も「脱走兵」をしてしまい、問題になったことがある。つまり、彼の人生は、周りの取り巻きが必ず用意してくれたものを、ただ甘んじて受けるだけでよく、彼は自分で苦労して勝ち取ったという経験が全くない人なのだ。大学を一応出ても、父が次々と仕事のポストを与えてくれた。だから大統領の職も、周りがすべてお膳立てしてくれるはずで、自分で苦労して勝ち取るものではないと彼が思うのも当然だった。

 実際、取り巻き連中はあらゆる手段を使った。特に実弟が知事をやっているフロリダでは、重犯罪前歴者は選挙権が剥奪されることを拡大解釈して、駐車違反などの軽犯罪まで含めて取締りを厳しくし、民主党支持の黒人を締め出すことが巧みに実行された。

しかし周りがお膳立てしてくれたところに姿を現すことだけですべてがうまく運んでいた彼の生活も、大統領の地位を「盗んだ」ときは、大学の席を横取りしたときとは少し様子が違った。ワシントンでの就任式後のパレードでも、抗議行動で卵をぶっつけられるし、他の大統領がしたように車を降りてホワイトハウスへの道を歩くことさえできなかった。議会では上院からも無視された。開き直った彼はアル中に戻るわけにもいかず、遊びまくった。

9/11の日、ブッシュはテキサスの小学校を視察していた。飛行機が最初にビルに激突したと聞いても、何もなかったかのように、教室で笑顔で手をたたいていた。2機目が激突して、アメリカが攻撃に曝されていることを知らされても、少なくとも7分間は教室の椅子に座ったまま何をしていいか分からず、ボーッと考えている様子。

映画のその画面でムーアが解説を入れる。「指示がないから動けない? 休暇をとりすぎて仕事をしていなかったことを悔やんでいたのか? テロ対策会議に1度も出席しなかったことを反省していたのか? オサマが飛行機をハイジャックしてアメリカを攻撃する計画があるという報告書も読まなかった(2001.8.6)なあ。その表題は「ビンラディンがアメリカ本土を攻撃することを決意」だったが俺は無視してすぐに魚釣りに行ってしまった!

激突の報を聞いて、彼にはそれがサウジ人(オサマ)の犯行であることはすぐにピンと来たようだ。彼は考えたのかもしれない。「オサマはサウジでは異端者でつまはじきだったから、無理もない。でもサウジは俺の家族同然だ。俺の大事な金づるだ。それを敵に回したら何のために俺はインチキまでして大統領の椅子を奪ったか分からないじゃないか。でも国民の前で、3000人が一瞬にして殺されたテロの報復をしなきゃ国民感情は収まらない。そうだこの際、前から考えていたあいつを代わりに討とう。フセインだ。やつは俺が悪評をばら撒いたおかげで評判が悪いし、あそこの石油をアメリカに持ってくれば誰も文句は言わんだろう。それに軍需産業は戦争をやれやれとうるさいしなあ」。

「だが待てよ、イラクはアメリカを攻撃したことがない。アメリカ人を一人として殺したこともない。攻撃するには口実が要る。そうだ、ビンラディンはアルカイダと関係がある。アルカイダはアフガニスタンのタリバンがかくまっていた。とすれば、アフガニスタンをまずやって、その隣国のイラクへ切り替えよう」と。

ブッシュが父の世話で若い頃テキサスで設立した石油関係会社、アルブスト、スペクトラム7、ハーケンなどの会社はいくら採掘しても石油は出ないので、ことごとくつぶれた。が、その度にサウジ人石油成金がその膨大な損失金を支出した。アラブの石油成金は、確かに金持ちだが、権力はゼロ。だから後ろ盾の「安心」がほしい。アメリカの最高権力者の息子に「献金」すれば見返りの「保障」が得られたわけだ。

ブッシュは、テキサスで兵役中の親友James R. Bathをビンラディン一族から資金を橋渡しする会計責任者につけていた。2人は兵役中に身体検査の呼び出しをすっぽかして処分を受けていたが、それを記録した書類をホワイトハウスはブッシュが脱走兵ではないことを証明するための証拠として提出した。しかし同じページにあるBathの名前が黒く塗りつぶされていた。ビンラディンがBathを雇ってブッシュに資金を注ぎこんでいたことを国民に知られたくないためのようだった。

その後ブッシュの破産させた会社の1つがハーケン社に吸収され、ブッシュはその理事に納まった。だが、弁護士の警告を無視して、ハーケン社がその大きな損失を公開する直前に自社株を大量に処分するという違法行為をした。それを摘発しようとした「公正取引委員会」に圧力をかけてその件をつぶしたのがベーカー元国務長官の仲間ロバート・ジョーダンという男で、ブッシュは大統領になったとき、ジョーダンをアメリカの駐サウジ大使にして、その「恩」に報いた。

ハーケン社もつぶれると、パパブッシュが息子ブッシュをカーライル企業体の理事にした。この企業体の中の主力会社として軍需産業のユナイテッド・ディフェンス社がある。この企業体にはベーカー元国務長官、元イギリス首相のジョン・メイジャー、パパブッシュなどが理事に納まっているが、同時にビンラディン一族もこの企業体の大株主であった。だから、9/11のあとビンラディン対策でアメリカが防衛費を上げると、ビンラディン一族が株で大いに儲かるという皮肉な関係になっていた。もちろん9/11事件はカーライル企業体には「棚からボタ餅」どころではなかった。装甲戦車製造で有名なユナイテッド・ディフェンス社はカーライル企業体の系列会社だが、9/113ヶ月後には1日の儲けが何と23700万ドル(260億円)になったとカーライル社自身が発表している。

ブッシュ一族も大統領としての年収40万ドル(4,400万円)の他に、サウジやその関係企業から年に14億ドル(1,500億円)もの金を何年間ももらっていた。だから気持としてはどちらの国の大統領か分からなくなったかもしれない。当然ながら、サウジの金がアルカイダに流れていようと、9/11の容疑者19人のうち15人がサウジ人と分かっていても、9/11の直後に彼らの家族のアメリカ脱出用の飛行機を用意するのはもちろん、9/13にはサウジ大使のバンダー王子をこっそりホワイトハウスの夕食に招いて2人だけで話し合いをした。となると、その席で「この件は悪いようにはしないから、任せておいてくれ」などと言ったことは大いに考えられる。実際、ブッシュ大統領もサウジのバンダー王子の家族には「バンダー・ブッシュ」というあだ名で呼ばれているほどの仲なのだから

もちろん、彼は米国議会の9/11調査には極めて消極的な態度を示した。議会が「9/11特別調査委員会」を設置することにさえ反対したが、その言い分は「我々の情報収集活動を敵に知られるのはまずいから」ということだった。不自然さを指摘されて、やっと「特別委員会」が出来ても、資料提出は遅らせ、証言も拒否し、報告書が用意されると、徹底して「検閲」して、サウジに関する部分は「非公開」に指定してしまった。彼の頭には9/11犠牲者やその家族のことなど微塵もないようで、その行動は「駐アメリカ・サウジ大統領」であった。自国の大統領には全く見放されてしまって、9/11の犠牲者の500家族は、サウジ王家を直接訴えたが、何とサウジ側が弁護士として雇ったのが、ブッシュの腹心ベーカー元国務長官の法律事務所だったというから、一体どうなっているんだと言いたくなる。

 実際、サウジはアメリカに1兆ドル(110兆円)近くも投資していると推定されている。これは日本の国家総予算80兆円をはるかに上回る額で、アメリカの全株式の6~7%になるという。それもシティバンクなどの優良株が多く、相当の儲けがサウジに流れている。だから、サウジとトラブルになって、この1兆ドルが全部アメリカから引き出されるようなことになると大変だというわけで、秘密警察が常にホワイトハウスに劣らぬほど神経を使ってサウジ大使館周辺を固めている。サウジ側もかなり強気になれるので、アメリカの調査団を9/11実行犯の家族に会わせることは拒否し、ハイジャック犯の資産を凍結することさえ嫌がったのだ。

 これだけのもたれあいの関係の中で、サウジを攻撃することはできない。しかし、アメリカ国民は9/11の解明を求めている。そこで全く関係のないイラクが登場する。「国家安全委員会」(National Security Council)の委員長で、9/11後の「アルカイダ対策会議」の議長をつとめたDick Clarke氏は証言している。「大統領は前からイラクを攻撃することを決めていたようで、まるで脅迫するかのように、9/11の背後にはイラクがあったという結論を求めているようだった」と。「アルカイダ対策を話し合うはずの会議で、ブッシュはイラク、サダムを調べて、結論を出せ」ばかり言って、アルカイダの話は一切出なかったというから、アルカイダ対策の専門家で長年まじめに取り組んできたClarke氏は、その後サイバーテロ関係の部署に左遷させられる。その会議では、ラムズフェルド国防長官までが付和雷同して、「アフガニスタンにはいい攻撃目標が見当たらないからイラクをやろう」と述べたという。Clarke氏が「イラクは関係ないじゃないか」と言ったら、そんなことはどうでもいいという感じだったというから驚きだ。とにかく、アフガニスタンは一時アルカイダをかくまったというので、9/114週間後に米軍のアフガン攻撃が始まる。しかし実際は、山岳地帯の「洞穴からアルカイダをいぶり出せ!」という掛け声ばかりが勇ましく、あの広大な国に、ニューヨークの警察官の数より少ない1万余りの米軍を配置しただけだった。しかもビンラディンの隠れ家のある辺りに米軍の特殊部隊が初めて入り込んだのは、9/112ヵ月後のことだった。つまり3000人一挙殺害事件の首謀者オサマ・ビンラディンは2ヶ月間追跡もされず、逃げるままになっていたのだった。一番の関心事のはずなのに、ブッシュは「オサマの居場所など分かりっこない。そんなことに時間を使っている余裕なんかないんだ」と言う。そしてアフガニスタンへの侵略が終わってブッシュが任命した大統領ハミッド・カルザイ氏はアメリカ石油関連会社ユノカル社の前顧問で、ユノカル社はカスピ海からアフガニスタンを通過してアラビア海に抜ける膨大なパイプライン工事を受注したばかりだった。更にブッシュはアフガニスタンへのアメリカ公使としてザルメイ・カリルダッド氏を任命したが彼もユノカル社の前顧問だった人である。だから筋書き通り、彼らは就任するやいなや、隣国とパイプライン建設の交渉に全力を尽くし、ユノカル社は調印にこぎつけた。またそれに便乗してカスピ海の採掘工事を請け負う契約をしたのが、チーニー副大統領が率いるハリバートン社だった。カルザイ氏を送り込んだ目的は完全に達成された。

 ブッシュは自分を「戦争大統領」(War President)と呼ぶ。「外交問題を考えるときに、常に戦争のことを想定しながら考える」と自分で言っている。George Orwellは極端な管理社会を想定した小説「1984年」の中で、「戦争は、社会構造を変えないでおくために、支配階級が被支配階級に対して仕掛ける行為だ」と言っている。アフガン戦争が終わって、ビンラディンの居場所も分からないというので、ブッシュもまた戦争の相手をアメリカ国民に変えた。情報戦争である。根拠のないテロ情報をやたらにばら撒いて国民を怯えさせ、一方「大いに飛行機に乗って観光地を楽しめ」などと反対の情報を流し、国民を混乱させる。映画の中に、ブッシュが本気でテロの恐怖を考えていないことがよく分かる1つの面白いショットがある。「我々は全力でテロに立ち向かわなければならない。全世界に協力を要請する」と大声を上げた直後に、さっと態度を変えて「さあ、俺のショットを良く見ろ」とゴルフボールを打つ。「なんだ、あの勇ましい掛け声は単なる自分のゴルフへの枕詞か?!」と誰もが思う変わり身の早さだ。

テロ攻撃に出会う危険度を設定して、常にそれをわざと上下させ国民を不安な状況に置き、その不安を利用して、「人間を入れる金庫」や「ビルの窓から脱出するパラシュート」などの馬鹿げたテロ対策用具を売り出す企業も出るほどになった。そして不安が弱まってくると、テロ情報の警告度を上げて不安感をかきたてて、国民の気持をコントロールするという手法を編み出した。テロ防止が口先だけであることは次の一件を見ても明らかだ。テロ実行犯が侵入する可能性のあるオレゴンの長い海岸では数十キロに及ぶ地域に1人の警備員しか配置できないまでに予算を減らしてしまったのだ。情報コントロールを巧みに行い、不安感をあおり、その不安をが十分に高まったときにイラクへの戦争に踏み切る。脅威を感じる相手が分からないことから来る国民の不安感は、相手を特定してもらって解消され、国民の心理状態の安定には有効な戦争になった。全く根拠のない戦争でも、支持率が80%を超える。長年アフリカの医療に貢献し精神科医でもあるJim McDermott下院議員はホワイトハウスを「恐怖心製造工場」(Fear Factory)と呼ぶほどだ。

そしてアルカイダとイラクが結びついているという具体的な証拠はなにもないのに、その恐怖心を背景にして、「アルカイダ」「イラク」「アルカイダ」「イラク」と結びつけて連呼することで、人々の頭の中につながっているような錯覚を作ったと彼は言う。でも関係のないものを無理やりに関係付けることは大変だ。ブッシュは「フセインが、アルカイダと同じように、『アメリカ人が自由を愛する』ことを是としないから」フセインを攻撃しなければならないと訴える。自分と考えが違うものは攻撃して殺しても当然という傲慢さはヒットラーに匹敵するのではないか。「結局、フセインは湾岸戦争で俺の親父(パパブッシュ)を殺そうとした奴だから」と私憤(?)をアルカイダと入れ替える。アルカイダの次は大量破壊兵器を所持しているからとなった。しかしブッシュのイラク戦争終結宣言後1年半かけてアメリカが探し回っても見つからず、国防長官自身が間違いを認めた。でもこんなことが「間違ってました」ですむことなのだろうか。

こういうときに間違いを正すのは野党・民主党の役割なのに、Tom Daschle上院議員までが、「大統領に必要な権限を与えることを支持する」と表明するし、真実を伝えるはずのマスコミまでが、突然「愛国的」になって冷静さを失う。一方で、海兵隊員にインタビューしていたキャスターが「皆さん、海軍の紋章は軍服に縫い付けてなくて、ユラユラしているのを知っていますか?」などというレベルの興味になってしまう。地方の家庭で近所の人が集まって政治を話し合う場にも、FBIが隣人に成りすましたスパイを送り込んで、「反愛国的」な人間がいないか監視する。もちろんマスコミでも戦闘意欲に水を指すような場面は一切ご法度だ。政府は戦死者の棺を撮影することも禁じた。

この映画の大きな見所は、一人ひとりの兵士の戦場での気持が繊細に描かれていることだと思う。ベトナム戦争の後半とは違って、アメリカにはまだ徴兵制度は実行されていないので、兵士の多くは仕事にあぶれた若者で、勧誘されて「仕事」として給料をもらいながら戦場に来ている。危険があるとは分かっていても、「仕事」で自分が死ぬことを想定することはあまりない。だから、「仕事として」戦車に乗って鉄砲をぶっ放していればいいと単純に思っている。いざ戦う場面に直面すると、気持はやたらに高ぶって、敵と民間人との区別など不可能で、ロックCDのボリュームを最高に上げて、リズムに乗って動くものは何でもねらってぶっ放してしまう。ドラウニング・プールの「床に叩きつけろ」というロックなどは、相手を撃ち殺すときのBGMにぴったりだという。つまりビデオ・ゲーム上で映像を殺していく感覚で、実弾を乱射する。そして結果を見て現実に引き戻される。弾があたって人がぶっ飛び、小さな子供が死んでいく。鼻をつぶされた少女を抱えた人、死んだ妻を抱えた夫、道路わきに積み重なる死体が腐って放つ悪臭、肉親を殺された老婆が狂ったように泣きわめく姿。この結果が憎悪を生まないわけがない。

「イラクに民主主義を実現するのだ」と教えられ、その気になってやってきた兵士も多い。だが、上のような状況の中で、「一体おれは何をやってるんだ?」と迷い、イラク人が自分達を好意的に見ていないことを知ると、幻滅する。しかも、戦闘は長引き、軍務の期間が延長される。そして、本来なら死刑の対象となるはずの「殺人」を仕事にする彼らは言う「人を殺すと自分の魂の一部が破壊される」と。だから、「自分の一部を殺すことなく人を殺すことはできない」というのは本当だと告白する。もちろん両足を失った傷病兵や、神経を傷つけられて苦しむ兵士も多い。しかし、次々に何万と送り込まれたほとんど全てのアメリカの若者が、大義のない戦争で、うまくいってかりに外傷は免れても、必ず心の傷を深く負って、帰国してくる。だとすれば、彼らが背負うはずのアメリカに健康な未来が約束されるだろうか? そしてアメリカを中心に動く、この世界の将来はどうなるのであろうか。

前回の湾岸戦争では、石油基地がかなりテロにあって破壊された。今回のイラクでは、バグダッドのテロ対策はいいかげんでも、石油基地周辺はアメリカが完全固めている。ここを押さえることが今度の戦争の目的であったことは、この状況を一目見れば十分だ。ここではチーニー副大統領のハリバートン社を筆頭に、アメリカ企業の基地が石油で膨大な利益を生み出している。だから、ここで働くアメリカ人は、バグダッドなどとは別世界で安心しきって高給をかせぐ。基地内の4キロのルートを往復するだけのバスを動かすハリバートン社の運転手の月給が週40時間勤務で1万ドルにもなるという。そのハリバートン社はイラクに派遣された軍人に食料、必需品、衣類、通信手段を供給することも請け負った会社でもある。だから、彼らが戦争は長引いてほしいと願うのも当然だろう。この5年間ハリバートン社のCEOをしているチーニー副大統領もこの会社を誇りにしていると明言する。そしてこの副大統領の副という字を取ってしまった方が良いと言う人がいるほど彼は陰でブッシュをコントロールしている人物なのだ。

最後にムーアはGeorge Orwellの小説「1984年」からの引用をして、この映画を締めくくっている。これは彼のこの映画のテーマでもあると思われる重要な部分なので、引用を訳してみる。「どんな形の戦争でも勝利はない。戦争はそもそも勝つようには出来ていない。ずっと続くように出来ているだけだ。階層社会は、下の層が貧困で無知であるときに、はじめて成立する。為政者に都合よく塗り替えられた過去が実際の過去にとって代わる。そして大抵の場合、戦争は、社会を餓死寸前の状態においておくために仕組まれる。戦争は支配階級が下の階級を敵にして行われる行為で、その目的は他の地域に勝利することではなくて、社会構造に全く手を触れさせないことなのだ。」

本来大統領になっているはずのゴア氏は目立つことをあまりしない人だが、イラク戦争の半年前に、憤然とブッシュに挑みかかったことがある。「アメリカが一方的にフセインに行動を起こすことは、テロに対する戦いを完全にダメにしてしまい、アメリカが世界を率いていく力を弱めるだけだ。アメリカに対して世界が抱いている好意の宝庫をブッシュは不安と敵意に変えてしまった」と彼は言った。4年前にゴアが選ばれていたらイラク戦争はなかったかと思うと何ともやりきれない思いだ。


人生90年を振り返って
戦前、戦中、戦後の89年の母親の記
アメリカのアメリカによるアメリカのための21世紀?
一人勝ちのアメリカの国連潰しが秘密裏に進行する
21世紀の日本...あなたはどちらを取りますか?
(21世紀を考える対照的な2つの記事が出た。我々はどんな展望を持つべきなのだろう)
そのとき「私」は? (2001.9.18)
2001.9.11の貿易センタービルへの自爆事件当日の体験記など。

親父の思い出
(道彦1996)
1996年11月15日逝去した父の戦時下及び戦後の89年の人生を思う。

ラフカディオ・ハーンと現代の教育 (健夫1997)
集団の求心力、金儲け主義、官僚支配を1世紀前のハーンの観察と比較しながら考える。
Etiquette in Japan (Simon Flinn1974)
外人から見た日本の奇異な習慣をユーモアを込めて論じる。英文。

言霊(コトダマ)信仰の不思議
(井沢元彦より)
小論文の問題だが面白い内容
PHOTO ALBUMS
田無の草花
 97-04-20
 97-04-27
 97-11-01(駅舎改築)
 99-05-05
 00-04-24


カズのウェディング
毅・さおりウェディング

 IGUSA 1年B組
TAMT